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鈴木兄の思い出

小西 愛明

鈴木脩君と知合ったのは70期卒業の分隊編成替えで二号38分隊に移り一緒になったのが最初である。

この時、笹川勉、守家友義両兄とも一緒に1年間過ごしたが、吾等4名は卒業後の一期候補生の時、八雲で再会、2ヵ月間一緒に初級士官教育に励んだ。

その後、潜水艦又は特殊潜航艇乗りとなり、不思議に生き残り、今年7月鈴木兄が亡くなるまで4名とも健在であった。

改めて鈴木脩兄に哀悼の意を表します。

鈴木兄とは戦後比叡山での分隊戦没者慰霊祭、沖縄戦跡回り、呉・江田島、東京、伊勢・二見ヶ浦等での2年毎に集る分隊会で旧交を暖めたが、最後に会った二見ヶ浦の宿では同兄と2人同室で、彼は足裏マッサージにこっているとかで実演してから私にも健康法として勧めてくれたことを覚えている。

また、この間、彼は関ペ塗料販売会社の社長として、私は関ぺシンナーを製造する北港化学株式会社の社長として大阪のホテルで関ぺ創立記念日のパーティ会場で偶然出会った。日商岩井千葉油槽所に出張で行ったときに彼の会社に立寄った思い出もある。

38分隊2号仲間として、鈴木兄は長山兄と共に中心になっていたが2人共今はいない。

兄は80歳になった時の年賀状で、それを理由に今後は年賀状の交換を止めようと通知があり、その後、昨秋の分隊会も不参加となっている間に突然クラスの連絡網で訃報に接したことは、今思うと残念な話である。

以上簡単で意を尽くしていないが、鈴木兄の思い出を記した。

(なにわ会ニュース96号11頁 平成19年3月掲載)

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