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平成22年5月8日 校正すみ

鈴木 脩君への弔辞

鈴木 脩

 五郎

悲しいかな今生の別れ、「脩さん」と呼べど答えず、叫べど(まぶた)遂に開くことなし。

生前の滋顔温容は猶彷彿(ほうふつ)として我等が眼底にありといえども、病魔の冒すところ如何ともなし難く、痛ましくも痩せ衰えたる君は今棺中に冷たき(むくろ)と横たわる。

無残なりその姿、触れば何とその冷たきや。熱き血よ(よみがえ)れと願えど空しく、祈れど詮なし。今は只君を前にして人生無常の理を思い知るのみ。 悲しきかな、嗚呼(ああ) 何ぞ悲しき哉。

思えば熱血滾る(たぎる)青春の頃貴様と俺とは同期の桜、血肉分けたる仲に非ずとはいいながら、選ばれて同じ江田島に学び、散つては九段の桜花、共に邦家に身命を捧げんと誓いしに、幸か不幸か大東亜戦争の敗戦は思いもよらぬ戦後の人生。

その人生の流転、運命の悪戯は、君をして市井の人士たらしめたるも、世が世なりせば君は帝国海軍有為の将星として、青史にその名を止めたるは疑わざるところなり。

 その身清廉潔白、公正無私の精神、博愛衆に及ぼす仁愛奉仕の心、しかも謙虚にして清濁併せ呑む包容力。何れを想起するも君は今、汚濁混迷の世に一陣の清風を(もたら)し、遂に飄々(ひょうひょう)として天空に去る。無念痛恨云うべからず。

 顧みれば往事茫々(ぼうぼう)たりといえども君は戦後慶応大学に学び、もとより優秀なる成績を修めて旧三井物産系の商事会社に就職。然るところ上司同輩の信望も厚く、その洋々たる前途を期待されたにも拘らず、敢えて職を辞し千葉に戻る。先考以来宮田正之氏との友諠(ゆうぎ)親交に応えんが為なり。 爾来同氏関係の合資会社新柳、新柳製菓、新柳印刷、宮田紙業、ミヤタ塗料等々、グループ企業経営の中心的存在として活躍、更には()われて千葉トヨタの経営にも関与するなど営々努力今日に至る。

 その間,君は昭和30年、弱冠32才にして千葉市市会議員に立候補するや、たちまちにして上位当選を果たすも、次回以降遂に出馬することなし。

爾来郷党先輩の為尽力は惜しまざるも、政界の汚辱破廉恥に身を汚すことを(いさぎよ)しとせず。その高潔にして私心なき人格才能は、これ固より往年県下に名教育者として令名を馳せし父君ご母堂等、庭訓の然らしむるところなるべし。

市井の奉仕活動につきても初代幹事として、千葉中央ライオンズクラブの結成に始まる一連の成果、これまた名は人に譲り自らは裏方に徹して功を誇ること更に無し。

海軍残党を結集しての千葉水交会然り、 戦没者の慰霊に当たりては同期の戦友については言うに及ばず、君が配属されし重巡筑摩、伊号13潜乗員の為の鎮魂にも奔走。更に千葉公園に屹立(きつりつ)する「海軍の碑」は全海軍戦没者に対する君が努力の結晶というも過言ならず。特に我がクラス会に対する功績も枚挙の(いとま)なく、期友等しく敬意をこめて君を千葉艦隊司令長官と愛称。

或は母校千葉中学同窓会における君が尽力も余人を以って代え難しと聞く。

更には千葉海洋少年団を創立指導、或は海上自衛隊後援活動にも大いに尽力、特に招じられて遠洋航海に同行するなど功績容易ならざるものあり。又、私事ながら月下氷人として媒酌の労をとること幾度ぞ。

およそかくの如くその奉仕活動は誠に多岐に(わた)るも一切の名利を求めず。

 顧みれば亡き戦友に較べ生き残りたる我等は、至福の時を共にして60有余年、常に君は兄たり師たり。 

 その資質誠に非凡、事を処するに誤たず。然も人に接するや極めて謙譲にして先輩長上のみならず、同僚後輩に対しても凡そ(おご)ることを知らず。他を思い他を慮る配慮、温情、筆舌に尽し難しと云うも愚かなり。 君が在る処常に春風は駘蕩(たいとう)として和気藹々(あいあい)、更に盃をあげ酒を酌めば歓尽くるなし。

 驚くべきは齢還暦にして,社業の傍ら、君は敢えて志を立て鍼灸(しんきゅう)の道を学ぶこと実に3年。学成るや、これまた報酬を顧みぬ奉仕活動に施術の恩恵に与りたるもの幾人ぞ、我が妻もその一人なりき。その徳や実りて必ず家門に余慶を(もたら)さん。

 然るに最晩年の病疾その天命の無惨なる、会話に際ししばしば、君が言に窮して涙するをみては我等また心中、涙滂沱(ぼうだ)たり。君言なくもその云わんとするところ察する余りあればなり。

 翻って思へば交友60有余年、我が受けし君が友愛の厚きこと枚挙に(いとま)なく、特に人生の難関、処世の難局において、君が恩義は我が父母兄弟の恩愛に優るとも劣ることなし。

君を失いて今、我が断腸の思いを如何に伝へん。 

況や最愛の夫或は敬愛する家長を喪いて、ご家族ご一統様の悲愁や如何ならん。

只管(ひたすら)、神のご加護のあらんことを願い、今はただ君が安らけき永久の眠りを祈るのみ。

平和公園、君が墓標に刻まれしは「愛と絆」の二文字にして、我が塋域(えいいき)とはまさに咫尺(しせき)の間。何卒今生の絆に免じ来世も又、君が大いなる友愛を願うや切なり。

平成18年7月18日

(なにわ会ニュース95号103頁 平成18年9月掲載)

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