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平成22年5月7日 校正すみ

澤本 倫生君を偲ぶ

伊藤 正敬


 平成16年8月10日、澤本倫生君が亡くなった。今年の初め、正月から体調を壊して3ヶ月ほど入院していたが、やっと退院できて家で静養しているという手紙をいただいた。

早速見舞いの電話を入れたところ、元気な声で話が出来たので安心していた。その後、参拝クラス会にも海軍兵学校連合クラス会にも顔を見せなかったので、内心心配していた。

さて、澤本君との付き合いは、私が海上自衛隊を退職して、昭和53年3月の相模CCで行われたCGCで出会ったのが始まりである。その後、いろんなゴルフコンペで共にプレーして、いろいろ教えてもらった。

彼は、車を運転しなかったので、ゴルフに行くときは、おおむね後藤俊夫の車を利用していた。ある時期から、飯能や千葉で行われるコンペの時は、小生が彼を迎えに行くようになった。そして、彼と次第に親しくなっていった。

彼は、話好きで、車の中でいろんな話をしてくれた。今でも記憶に残っているのは、次の3つのことである。

その第1は、彼は相撲が強かったということである。そして何回も聞かされたのは、70期の伍長にぶちかましをかけて卒倒させ、入室させてしまったことである。

次に、聞かされたのは、兵学校1号のときに生徒隊自動車係生徒として車の運転を行ったということである。その彼が、なぜ車を運転しないか聞いたら、俺は酒が好きだから、車は運転しない、と答えが返ってきた。

確かに彼の酒好きは物凄かった。ゴルフの時も、朝からウィスキーの小瓶を持って、絶えず飲んでいた。

次に、例のオレンジ共済事件の前に、投資しないかと勧められたことがある。その頃、私は株に熱中していたから断って事なきをえた。

ゴルフは早くから(たしな)んでおり、クラスでは最右翼の実力の持ち主であった。

手元にある資料から、彼の海軍関係のゴルフの実績を調べてみた。

CGC   参加回数 44回 優勝3回

      平均グロス 95 ベスト 81

湘南CGC 参加回数 47回 優勝2回

      平均グロス 96 ベスト 86

 東京CGC 参加回数 33回 優勝3回

      平均グロス 96 ベスト 85

そのほか、海軍関係のゴルフ会である久邇宮水交ゴルフ会には、29回参加して回優勝しており、アドミラル会には、40回参加して、これまた1回優勝している。

 彼はニュースにも俺は100をオーバーしたことはないと、豪語していたが、4年前からは、グロス100を切れなくなり、特に一昨年あたりからは、グロス142、131、108と考えられないスコアであった。この頃から、体調を崩していたのかもしれない。

本当に、よく一緒にゴルフをした。惜しい男を失ってとても淋しい。

今回、澤本の従兄弟の田島明朗氏から、海軍兵学校時代の澤本、水谷潤と、田島さん家族が写っている写真を送付して頂いた。ここに掲載して、両君の冥福を祈りたい。

右から澤本、田島氏の母、水谷の甥、水谷潤、


澤本の前が田島明朗氏 その左が田島氏の弟


(昭和十六年冬 江田島のクラブで写す)

水谷と澤本は親戚にあたるとのことである。そして、水谷と私は4号の時、45分隊で一緒であった。その水谷も、昭和20年6月6日、来襲したP―47を迎撃、これと交戦して鹿児島上空で戦死している。

また、澤本は『なにわ会ニュース』をこよなく愛して、多数の記事を投稿していた。ここに、その主なものを列挙して彼を偲び、哀悼の意をささげたい。

 

澤本倫生君の投稿

   4頁 第1回慰霊祭報告 

  8号 8 海坊主号再就役  樋口の全快祝賀会報告

 13号 1頁 新水交会館建設について

 15号 5頁 中田隆保君を悼む

 15号 15頁 軍令部の思い出
         19
年12月から終戦までの軍令部勤務について

 18号 36頁 プラナ

 19号 17頁 「なにわ会」の名の由来

終戦直後クラス会全体の名簿を作るべく、ご遺族を含めて、期会全員に名簿作成原稿を求めた。約半数の回答を貰い、樋口 直にバトンタッチしてしまった。これを参考にして、戦後の会員名簿第一号が出されたと思う。

クラス会の名称は「なには会」から「なにわ会」に変更されて現在に至っている。

 29号 14頁  従弟田島明朗君

 31号 4  CGC自作自演優勝の記

第15回大会で優勝。ホームコース相武CCで

グロス81、HD11.2 ネット69.8のベスグロ優勝。

10 32号 6 第16回 CGC始末記

11 33号 20頁 終戦の日

12 34号 24頁 兵隊の位と給料

13 35号 26頁 軍刀関係参考資料 休暇心得

14 37号 4 新見校長満90歳の祝い

15 38号 6 慰霊祭別動隊の記

16 42号 12頁 関西なにわ会コンペ記

17 43号 10頁 病気の自己診断法

18 47号 6 関西ケップガンクラブ

19 53号 5 第7代湘南艦隊司令長官拝命

20 54号 7 オールネービー全国大会  

  昭和60年11月22日 帝国ホテルで開催。参加者約1200

21 54号 9 なにわ会ゴルフ考

22 55号 4頁 「なにわ会」創設期の名幹事 
         1 名簿

        不完全な名簿資料を昭和23年樋口に渡す。

        第1号 昭和27年水野の協力で樋口作成。

        ポケット版名簿 43年大谷作成。

        その後市瀬が担当 3年ごと改定。

      2 会誌

        会誌第1号 昭和27年泉と大谷が協力発刊。

        会誌3号までで、大谷の転勤等で一時中断。

            昭和39年 加藤が再発行(バイパス)。

        7号から「機」「経」合同。

        16号から「なにわ会ニュース」となる。

        その後押本に引き継がれる。

      3 クラス会幹事

       終戦直後からずーっと中心となってくれたのが樋口であり、渋谷信也が場所の提供、
         会計担当として協力してくれた。

        その後、昭和四三年から年度幹事持ち回り制となった。

      4 ゴルフ幹事として泉五郎も大いに活躍した。

23 58号 8 第42回CGC再度優勝の弁

     62年11月19日  湘南CCで再度優勝 グロス89 HD16 ネット73 ベスグロ

24 60号 2 兵学校江田島移転百周年記念連合クラス会

          63年9月9日 10日実施

25 61号 25頁 新見元校長閣下の近況

26 69号 7頁 新見閣下の思い出

27 70号 8頁 第54回CGCに優勝  
         
平成5年9月30日  袖ヶ浦CCで3度目優勝

28 73号 39頁 私と碁

29 79号 3 木庭啓次弔辞

30 79号 44頁 セラミックで功労賞受賞

87 87号 17頁 なにわ会の名幹事

88 88号 14頁 心友白根行男

(なにわ会ニュース92号14頁 平成昭和年月掲載) 

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