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平成22年5月7日 校正すみ

佐藤 謙君への弔辞

安藤  

謹んで、故佐藤 諸君の御霊に申し上げます。

一昨、5月29日の夜、村山君からの一報で、この早朝4時に逝去されたことを知らされ、余りに突然のことで、不覚にも一瞬次の言葉を失いました。

顧みれば、平成11年の秋、新潟.山形方面のクラス会旅行の際に、新潟を飯塚君が、そして山形を貴君か担当して世話してくれましたか、鶴岡の致道博物館をはじめ、羽黒山の三山神社、湯殿山の錨地蔵尊などについて薀蓄ある貴君の説明は本職のガイドさんも兜を脱ぐ程で、深く敬意を抱いたことを思い出しますが、その折り既にヘルニアの症状を発していたにもかかわらず、旅行中は一言もいわず、また態度にも表さず、上の山駅で解散して帰宅されるや、直ちに入院の上手術をされたと後になって知らされ、貴君の旺盛な責任感と精神力に深く感動を覚えたものでした。

その後、折々の便りにも無事に過ごしているとのことで、安心し切っていた矢先の訃報で、ただただ驚き悲しむばかりです。

君は旧制酒田中学校の出身で.同校から舞鶴の海軍機関学校へ入学された草分けと聞いておりますか、昭和15年12月、海軍生徒を拝命、第53期生徒として入学、学業と猛訓練の明け暮れを経て、昭和18年9月、戦争たけなわの中を卒業し、水上艦艇を経て、イ号36潜水艦乗組、その後ロ号50潜水艦機関長として、各地で勇戦敢闘されましたがその甲斐もなく、昭和20年8月、大連で終戦を迎えられ、引き続き復員業務に従事されて、人知れぬ多くの労苦を重ねながらも任務を完遂され、昭和22年12月退官、昭和28年からは、郷里余目の地で教職につき、定年を迎えるまで29年間勤務、退職後は公民館々長として、地域の世話役を全うされたと聞いております。

君の訃報を受けた5月29日、私は浅草寺主催の月例仏教文化講座に出席し、谷川講師から「良寛の生涯とその心」という講演を聞き、感銘をうけて帰宅した直後でありました。訃報のショックが収まると、なぜか良寛と長兄が重なってまいりました。

故郷に近い国上山の山中、五合庵に独居してひたすら座禅に打ち込み、そして托鉢行脚に励んだ良寛禅師と、故郷余日の地で教育に心血を注ぎ、多くの有為の子女を育成したばかりか、公民館活動を通じ、地域社会に多くの貢献をされた君をいま仮に並べてみると、両者に共通しているものが一つある。それは、名利を超越して、周囲を感化した「徳」であると思われます。

貴兄の安らかなご冥福を祈念すると共に、貴兄もまた天上からご家族の皆様にいつまでもご加護を垂れたまわらんことを心から祈り、弔辞とします。

(なにわ会ニュース85号19頁 平成13年9月掲載)

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