平成22年5月7日 校正すみ
猿田 松男君を偲んで
松山 実
あれから半年の歳月が経ちました。「光陰矢の如し」です。
突然加藤君から計報に接した時は、驚きの余り言葉もありませんでした。
顧みますれば、湘南中学・海軍兵学校と、同期の桜として青春時代を同じ道を歩みはしたものの、湘南中学時代は、君は映画観賞御法度の厳格な家庭に育ち、一方小生は伊勢佐木町映画街を排桐する軟派で、兵学校卒業後は、君は伊勢乗組、後に兵器士官として活躍され、小生は戦闘機乗りと別々の道を歩んで釆ました。
戦後関東運輸に勤められ、小生が日東タイヤ社員としてタイヤを販売に行く頃から交際が再び始まり、親しく家族ぐるみのお付き合いをさせて頂く様になりました。其の後航空電子に転職され、持前の馬力で重役にまで昇進され、国内ばかりでなく海外まで進出され大活躍をされました。
家庭にあっては、真書子様、由喜子様の良きパパとして、喜代様との間も円満な理想的な家庭を築き上げられました。航空電子を退職されてからは、家庭にあっては植木に、外にあっては旅に、その趣味に生き甲斐を見つけられ、小生の家のジャーマンアイリスの球根や蘭の鉢植えを持って帰られ、庭に植えたり蘭の根分けをされて綺麗な花を咲かされて喜んで居られました。また旅先からはこまめに便りを呉れて、その一部を紹介しますと、
5月7日 恐山薬研温泉にて 猿田松男
「5月6日より3泊4日の東北十和田の旅へ来ています。快晴に恵まれハッピーです。奥入瀬は御存知と思いますが、いつ来ても綺麗で優美です。貴兄も元気になられたら奥方と是非行かれたらいいと思います。筍とても有難う。」
、由喜子様のアメリカの家にステイされた時には「御元気ですか。当地アトランタ(GLO)に来て20日余経ちました。家が広いので諸事雑用で多忙です。一日リゾート迄250Kばかり車を飛ばしゴルフ、クルージング、乗馬を楽しみました。豊かな国です。経済大国とは、どこの国のことでしょう。物価も安く、米は日本の五分の一で美味です。せいぜいエンジョイして来ます。4月30日猿田」。
アメリカから帰られ暫くして足にしびれがきて手術されましたが、経過も順調で、御見舞に上った時も御元気な様子で安心して居りました矢先の訃報で、本当に信ぜられませんでした。
悠々自適の生活に入られてから間もない早すぎる御逝去は、惜しんでも余りあるものがあります。
どうか残された奥様をはじめ御遺族の皆様に、御加護を賜りますよう念ずるのみです。
心から御冥福をお祈り申し上げます。
(なにわ会ニュース67号16頁 平成4年9月掲載)