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平成22年5月4日 校正すみ

小沢尚介君をおくる

奥山 寿一

  10月21日の昼前、横田敏之から「小沢が今朝亡くなったそうだ。中村元一にはまだ連絡がつかないし・・・45分隊の二号、三号にはどうしょう・・」と慌てた調子の電話を受けた。

  (連絡網による小生への連絡より横田の電話の方が早かった。)

小沢は、ゴルフも熱心に行っていたと聞いてもいたし、元気にしていると思っていただけに、突然の訃報には、まさか小沢がと信じられない思いであった。

 数年前のこと、小松崎の告別式の際、設けていただいた「なにわ会」の席で、小沢が『江田島』写真集に、乗艦実習で俺が六分儀で測角し、奥山が記録、計算している写真がのっているよな・・」と話しかけてくれたのをきっかけに、当時を回想し、しみじみと語り合ったことを、いま懐かしく鮮やかに思い出している。

小沢とは一号時代、45分隊で卒業まで江田島生活を共にした。思い起こすと、彼は文字どおりの誠実、温厚、温みを感じさせる人物であった。

中村元一が告別式の弔辞で、追想して、よく語っていたとおり、45分隊は分隊伍長の彼を、分隊全員の中心としてよくまとまっていた。

戦後も、彼を囲んで、45分隊会が引き続いて行われているのも、彼の人柄、人望によるものだろうと思っている。

告別式場での海軍関係者参列者芳名帳の一番先頭に、三号の先任者、権守氏の記名のあったのを見て、改めてその思いを深くした。

戦後の彼の活躍ぶりは、より語るに適当な人にお願いすることにして、私は、彼との江田島時代の思い出を語って、彼へのお別れの言葉としたい。

小沢君、急な別れだった。悲しい。やすらかにお休み下さい。

平成13年10月24日

(なにわ会ニュース86号12頁 平成14年3月掲載)

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