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平成22年5月5日 校正すみ

卓越した編集長 押本直正さんの死を悼む

横川 

押本直正さんの訃報を今奥様から頂きました。そんなにお悪かったのか‥‥と愕(がく)然とするとともに『鳴呼』の思いを禁じ得ません。 氏はまさしく、海兵72期のシンボリックな代表選手でした。
氏の存在が無かったならば「なにわ会」の今日は無かったのではないでしょうか?

 

あの苛酷な大戦が終わって、過半数の友を失った同期生の皆さんは、誰言うとなくクラスの結集を呼びかけられ、その中心となって支えてこられた押本さんでした。

当初は「バイパス・ニュース」として発足した機関誌は、初代編集長の加藤孝二さんをはじめ、クラス・ヘッド(艦艇)の樋口 直さん、名簿係の大谷さん、等々の献身的など尽力があったのでしょうが、押本さんという卓越した編集者が加わったことにより、素晴らしい飛躍的な成長・発展を見たのでした。氏はお会いして言葉を交わせば、何のケレン味もない、極くごく平凡な市井人のように思われたのでしたが、その筆力、感性は余人の真似のできない傑出したお方だったと拝察するする思いでおりました。

私の密かに敬愛していた「大熊直樹さん」がお亡くなりになったとき、小文を投稿したのでしたが、その折り触れさせて頂いた42年5月1日付けバイパスニュース、第11号の「博多クラス会写真に寄せて」の説明文が誠に軽妙酒脱、当意即妙の思わず吹き出すような秀逸なものでした。一体この文を書かれたのは加藤さんだろうか、それとも押本さんだろうかと疑問に思っていたのでしたが、去る江田島慰霊祭の折り、機会があったのでお尋ねしたところ「あれは俺が書いた」とささやいて下さいました。「あぁやっぱり!」と納得したのでしたが、ちょっと恥ずかしそうな、そしてちょっぴり嬉しそうな氏の表情はナイーブでした。

押本さんは、じ来、紙面に健筆を奮はれるとともに、繁雑な「なにわ会ニュース」の編集長として長い間ご苦労なさいました。その間次々に心を許した同志達に先立たれ「アt、俺もそろそろ休みたいよ」とつぶやいておられたかも分かりません。この度、遂に懐かしい大勢の友の待つ世界へ逝ってしまわれました。誠に惜しみて余りある思いです。

今まで、何と沢山の戦記物が出版されてきたことでしょうか。でも「なにわ会ニュース」は、あの大戦を、身を挺して戦い、その渦中で体験した者でしか書けない貴重な記録と思いがぎっしりと詰まっている第一級の戦史資料だと私は思っています。執筆者の皆さんは、それぞれが貴重な昭和史の語り部としてその役割を見事に果たしておられました。そして、その発行責任者として押本さんの存在は誠に重いものがありました。氏の偉大な足跡をしのび、謹んでその魂の安からんことをお祈りする次第です。(合掌)

(横川康春氏は上原庸佑君の令弟です)

(なにわ会ニュース86号62頁 平成14年3月掲載)

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