平成22年5月5日 校正すみ
押本直正君と「なにわ会」ニュース
伊藤 正敬
平成13年12月25日押本君が亡くなった。28日のお通夜、29日の告別式には本当に多数のクラスメイトが出席した。これは生前の彼のなにわ会に対する貢献に対し、皆が感謝しているあらわれであろう。
11月の始め、押本夫人から主人が体調を壊し、入院したとの電話を受け、その後見舞いに行った期友から病状についていろいろ聞いていたが、12月中旬に見舞いに行った者の話では元気でいろいろ話も出来たとのことで安心していた矢先の訃報で、本当に残念であった。
昨年3月、本人の体調からニュースの編集長を続けることが困難になったと言うことで、その後を引き受けることになって、4月中旬に押本家を訪問、申し継ぎを受け、その後も度々電話で編集について教えを受けた。ある夜、7時過ぎに電話した時、ご夫人から、今食事を終わって休んでいるので、後で電話させますとの返事、そして9時ごろ押本君から電話があった。この時、既に体調が崩れていたのかも知れない。
ニュースと押本君
押本君は編集長としてだけでなく、投稿者としても数多くの貢献をしてくれた。病床にあった昭和28年頃の会誌からニュース85号までほとんど毎号、実に多数の投稿をしている。
彼の投稿をリストアップしたら一頁半にもなった。今振り返って見ると、彼の資料の整理保管の素晴らしいこと、文学的才能にたけていたこと等改めて感心させられる。
中でも50年夢幻の「一から九」までは兵学校時代及び卒業後の戦時中の貴重な記録であり、この外にも貴重な投稿が非常に多い。
押本君とゴルフ
ゴルフもCGCには初回から平成3年まで29回参加し、昭和58年の第34回大会(美和CC)ではグロス97で優勝している。また、湘南CGCには58年の初回から平成7年まで24回参加している。
アドミラル会にも昭和47年から参加し、昭和55年第53回大会で優勝している。平成6年春の大会を最後に同会は退会している。
このように、元気でゴルフを楽しんでいた押本君は、平成7年頃から、体調の衰えを感じ出したのかもしれない。
さて、ニュースを生甲斐と言っていた押本君が、これを手放す決意をした昨年2月頃から、自分の体力の顕著な衰えを自覚し始めたのであろう。
永年ニュースの編集に尽力された加藤孝二、押本直正両君を失ったが、これを引き継いだ者として、絶対にこの芽を無くさないよう頑張る覚悟である。幸い、最初に会誌の編集に当った大谷友之、泉 五郎両君が積極的に協力してくれるし、会員諸君の投稿も多いので、当分の間は今までどおりの編集を続けていきたい。
ここまできて思いだすのは、先に亡くなった品川 弘、眞鍋正人両君のことである。緻密な作業をこなしてくれた品川君、彼の描いたカットは現在も活用しているし、博学の知識をもって舞台裏から支えてくれた眞鍋君、この両君の功績も忘れてはならない。
押本君の投稿記事
号 頁 記事
会誌 48 岩村君の事ども
会誌 53 我が青春の賦
会誌 78 春の渚
会誌 85 アルニラム
2 10 土井輝章君のこと
3 9 パイン島沖海戦戦闘詳報
4 6 写真集「ああ 江田島海軍兵学校」について
4 11 5月27日と12月8日
6 16 72期艦爆隊戦記(1)
6 22 帆走巡航航海日誌
7 16 72期艦爆隊戦記(2)
8 5 銘碑式典こぼれ話
8 10 湘南地区クラス会
8 15 72期艦爆隊戦記(3)
12 6 2603年の日記
13 3 ウェヂマイヤー回想録
13 18 三渓園に集う
14 13 塚田浩君を偲んで
18 7 なにわ会の由来に関する考察
19 14 草鹿校長の思い出話
20 26 新刊「海軍兵学校」刊行せまる
22 6 爆会記録
22 23 回天搭乗員の最後
22 25 「湘南なにわ会」余聞
23 3 小さなクラス会
25 17 森教官・サンパウロネービー会
26 14 遺書のレコードについて
27 8 精進落としのクラス会
27 30 広島・宮島・江田島
28 23 霞浦・百里原・土浦
28 37 編集後記 今回図らずも編集の責を負うことになり恐縮感激。
29 26 ある四号生徒の日曜日の日記
16年3月9日 満腹時の駆け足
29 30 生徒に示す余話
29 46 編集後記 本号から年2回発行
31 8 清水昭著「無名の碑」を読んで
33 29 あの頃のこと 20年8月15日の押本直正
35 11 塩原温泉修学旅行記
37 51 伴弘次の日記と最後について
38 25 和泉の墓は
38 37 ワレ候補生乗艦中オサキニ失礼
39 31 72期クラス会史抄
40 12 草鹿校長日記取材メモ
41 16 娼婦有情
41 21 中西達二中尉の愛唱歌
46 24 訪豪私記
46 39 編集後記 定年退職後も本誌の編集を続けることになろう。
これが小生の生き甲斐の一つになることを希望している。
47 13 同郷のクラスメイト
48 9 湘南地区クラス歓迎会
49 24 「藤野先生」と藤野竜哉君
50 9 34回CGC大会記
50 10 余は如何にしてケプガンになったか
50 23 森教官逝去
51 15 散って帰らぬ若桜 72期と73期
53 31 生きている養浩館
54 32 会誌1、2、3号の複刻発刊について
57 22 川端博和・比古田宏進両君の墓参記
58 14 サン・パウロに眠る森栄教官
61 5 木村貞春君への弔辞
64 28 50年夢幻 1 兵学校生活練習艦隊
65 19 50年夢幻 2 海軍兵学校教科書 航空実習
65 54 ニュースの編集要領
66 9 伊勢・南紀旅行
66 27 50年夢幻 3 初飛行 飛行機乗りの修行
67 14 郡重夫君の思い出
67 33 50年夢幻 4 41期飛行学生
68 25 50年夢幻 5 宇佐海軍航空隊
68 57 湘南新年クラス会
69 36 50年夢幻 6 飛行学生遠隔
69 44 小河美津彦と臼杵石仏
69 45 鎌倉詣でのご利益
70 24 50年夢幻 7 沖縄・鹿屋
71 30 50年夢幻 8 かつてこの地に
71 42 18年10ケ月の生涯・有村信義君
72 54 西四国巡礼記
73 37 50年夢幻 9 海軍の遺跡
75 30 曳航機を撃つな
75 31 雷撃隊出動の歌
77 45 ポリビア上空の八木節
79 41 ジョスランの子守唄
80 4 湘南新年宴会
80 4 鎌倉七福神を歩く会
80 4 河口湖ミニクラス会
80 34 海軍航空の歌
80 37 震洋・中練・白菊
85 69 編集員交替
85 70 残して置きたい話
(なにわ会ニュース86号34頁 平成14年3月掲載)