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平成22年5月4日 校正すみ

小黒孝也君の死を悼む

  藤太

「・・(前略) 去る2月 夫,急逝いたしましたので、年賀のご挨拶をご遠慮申しあげます・・・・(後略)」 平成15年11月21日 節子夫人から喪中ご挨拶の葉書を頂き愕然(がくぜん)とした。まして、9か月も前に亡くなっていたとは? 早速電話でお悔やみ申し上げるとともに、知らずにいた無礼をお詫び申し上げ、その時の様子をお聞きした次第。

 その年の2月19日、愛娘むつさんの誕生日を祝って、家族3人揃って夕食を楽しみ、普段と.変わらず床についたとのこと。

 翌20日早朝、夫人が目覚めて隣を見たら既に小黒(旧姓桑野)君は亡くなっていたのである。痛いとも苦しいとも言わず、正に眠ったままの最後だった。余りにも突然、余りにもあっけない死に、夫人は呆然自失、夢の中でまた夢を見ているようだと涙ながらに言っておられた。

思い起こせば、平成11年8月18日、新潟に出向いた際に、オークラホテルで一別以来の再会をはたした。ホテルの前でタクシーを降りてきた彼は、杖をつきながらも元気にニコニコしながら近づいてきた。

挨拶もそこそこに事故にあった時の話を聞かせてもらった。

平成10年11月6日2300過ぎ、タクシーを降りて横断歩道を渡り始めたところに、車が突っ込んできて、両足骨折の大事故に遭ってしまった。強健な体の彼は医師も驚くほど、内臓も頭も異常が無かったと言うが、後遺症として残っていたのではないだろうか。それから9か月、入院加療とリハビリに専念、驚異的回復を見たのである。(この件ニュース82号41頁の記事と46頁の写真参照)

 それからは、体調と日々の生活を大事にと、新潟のネービー会「越水会」会長をはじめ数々の役職を退き、さらに1年ほど前からは身の回りの整理や金庫のカギの開け方などを娘さんに伝える等、自分の死期を予期していたのかと思われてならないという。余りの突然の死に1年過ぎた今も「単身赴任しているような・」「ヒヨツコリ帰ってくるような・・」気がしてならないと、夫人は(つぶや)いておられた。

戦後の彼との付き合いは、昭和45年ごろ、第4銀行前橋支店開設準備委員長として、その後は支店長として一方ならぬお世話になった。私はトヨタデーラー創業直後でゆっくり旧交を温める暇が十分なかったことが、今となっては悔やまれてならない。   心からご冥福を祈る。

(なにわ会ニュース90号14頁 平成16年3月掲載)

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