新見中将閣下白寿の御祝
澤本 倫生
我々の入校当時の校長閣下、新見中将が本年2月14日にめでたく満99歳になられた。閣下が90歳になられた時は、我々が言出しべえで、68期から72期のクラス代表で御祝として国産最高の毛布を衛送りしたのであるが、今年は連合級会で御祝をすると聞いて居たので特に何もしなかった。ところが2月の未68期の茂木明治氏(我々が遠洋航海に出る前、砲術学校に寄宿した時の指導官、戦後東大卒)から4月5日に閣下のお祝いをやるからクラスに連絡するよう指示があったと、市瀬から連絡があった。この頃私はその日に他の予定があったので、取敢えず世話役を中村元一に頼んで貰った。然し閣下は私の父と同期であるし、その後も色々御世話になって居り、なにしろ一生に一度、しかも滅多になれない高齢のお祝いであるから、私も予定を変更して参加させて頂くことにした。
4月5日、予定時刻の30分前に東郷神社前に着いた時、新見閣下は丁度神社に御参拝なさる所であった。とにかく参加登記しようと思って受付に行って見て驚いた。何と二八〇名以上の方々が参集されて居るのである。
流石現在の海軍最長老で皆が御人格をお慕い申し上げて居る方の御祝だと感じた次第である。
高松宮殿下が到着されて、東郷神社拝殿前で全員の記念写真を撮り、東郷会館三階の広間に集合した。流石の広間も狭いくらいの人数であったが、予備学生三期の山口氏の司会で会が始まった。
全員黙祷の後、茂木さんが開会の挨拶をされた。それによると、あまりおおげさなことは困るとの閣下の御意見により、この日の為連絡したのは、砲術会、反省会(大東亜戦争の歴史的反省のグループ)閣下のご友人、兵学校68期〜72期、その他少数との事であった。90歳以上の方4名、80歳以上の方、殿下を含めて34名で我々は一番若輩のグループであった。
次いで41期の保科中将がとても御元気なおおきな声で「海軍大学教官の時初めて新見閣下とご一緒したが、その真摯な御態度には本当に頭が下がった・・・・」と御祝の言菜を述べられた。高松宮殿下からも簡単だが温かい御祝の御言葉があった
記念品として、閣下の海軍時代一番充実して思い出のある軍艦摩耶(艦長)の水彩画、ステッキ(連合期会より)と白寿の額が贈られ新見閣下から御礼の御挨拶があった。閣下はご存知のとおりとてもお元気で記憶も確かだし御声も立派で、「大勢での御祝申し訳ないと御断りするつもりだったが、これは海軍精神の現れであると気がつきお受けすることにした。
日本全国海軍精神に充ちるなら日本の将来は明るくなるのだが・・・・」等と話され、全員及び関係各グループへの御礼のお言葉があった。
終わって乾杯の後、懇談会食となったが、高松宮殴下も新見閣下もとてもきさくに皆の中に入って行かれ、殿下は途中御退場になられたが、閣下は最後まで会場に居られ、最後の挨拶の時も何回か椅子に座られるようお勧めしたが、とうとう最後まで立って居られた。
最後に万歳三唱、61期の村井事務局長の閉会の挨拶で予定より30分遅れて散会となった。
我々のクラスでの参加者は押本、岡本、中村、後藤、藤井と小生であった。本当に閣下が何時までもお元気で居られることを強く願望するものである。