新見校長の満九十歳の御祝
澤本 倫生
我々が海軍兵学校入校時の校長閣下新見中将は、本年二月十四日で卒寿の祝を迎えられた。如何に昔鍛えられた海軍の諸先輩でも、八十歳以上の長寿を保たれる方々の少ない中で
新見閣下は、今でも(この寒い冬ですら)週に2回は1〜3里の山歩き(主として多摩丘陵地帯)をなさって、健康を保たれて居られる上、毎日原文で英語版世界海戦史を御勉強になって居られる。その御記憶のすばらしいことと、耳が多少難聴な以外六十代の人でもかなわない御体力といい、我々元生徒の真の鑑であることを信じている。
閣下が校長時代、親しく御薫陶を受けた、第68期から、我々第72期までの各期幹事が語らって、閣下の卒寿お祝いをさして頂きたいと申し上げた所、閣下から、「話をしに来てくれるのは甚だ嬉しい。是非私の家に来てくれ。但し、こちらから言うのは変だが、余り気を使ってもらうのは困るよ」とのお言葉であった。
二月十二日(土曜)68期丹羽正行氏、69期岩下邦雄氏、70期福留徹氏、71期金丸光氏とg期小生の五人が、各クラス代表として、閣下のお宅を訪問した。いくら何もするなと言われても、手ぶらでは我々の気持が済まないので、温い、軟かい毛布をお持ちした。閣下は非常に喜んで下さり、同封の如き、御礼の文を頂いたので皆様に報告する次第である。
当日、我々クラス代表五人は、とても温いおもてなしを受けた上、第一次、第二次大戦における戦略的教訓の一部を、やさしく、且つ、今の世にも役立つよう、いろいろ教えて頂いたりして一同感激を新たにしておいとま乞いをしたのであった。
私や中村(元)、渋谷(了)は親父が36期で、閣下と同期であったため、校長閣下であっても比較的、近しい感じであったが他のクラスメートは、雲の上の方と感じていたと思う。その上、軍務の関係で、僅か四カ月足らずで第二遣支艦隊司令長官になられてしまったので、後任の草鹿校長程の親密感が無いのもやむを得なかったと思う。しかしながらこれ程戦史に詳しく、その戦訓を何とか今後の日本に生かしたいと思って居られる新見閣下の御教導を、諸兄が直接受けることは、これからの諸兄の指導力に大いにプラスになるものと信じている。
閣下は、五、六年前に夫人に先立たれ、今は、昔御令嬢の新婚住居に造られた御家に起伏されているが、逆に、元の御本宅(隣家)に御令嬢一家がお住いである。御住所は小田急線成城と祖師谷大蔵との略中間、線路から約五十米北側である。「若い人達が話しに来てくれるのが嬉しい」と、おっしゃって居られるので、夫々、社会のリーダーとなりつつある諸兄も一度は、お訪ねし、直接お話を聞かれることをお奨めする。
『前略 老生今回満九十歳の誕生日を迎えたのにつきましては、心にかけられ御高配に預かり、十二日には各期代表と打揃い御来駕下され、御丁重な祝詞と重宝なお祝品を頂戴し、御厚情のほど身にしみて感謝に堪えません。
お祝品は早速利用をさせてもらい、安眠して長寿を全うし、御厚情に報いたいと思っております。先ずは、取敢えず右御礼まで申上げたく、なお、貴期友の皆様にも宜しく御鶴声を願います。余寒なお厳しき折柄、御自愛の上一層の御活躍を祈り上げます。』