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海軍機関学校長時代の思い出

         鍋島 茂明

 先般 上田君より何か思い出話を書くようにとの御手紙に接しましたので、83年の自分の人生の経験から二、三、自分の考えを申し述べることも何かのお役に立つからと考えて書きました。

 第53期は私の校長在任中に最も長く接したクラスであり、かねて「なにわ会」誌の御送付を頂いて拝見致し、諸君がそれぞれ社会の各方面に活動しておられ、クラスの団結は勿論、級友の御遺族とも密接なる連絡を保持して居られるご様子に自分の事のように喜んでおります。

 私が校長を拝命致したのは昭和161120日であり、日米の関係は緊迫し国民一同が一死奉公の念に燃えて居った時でもあり、着任後数日で開戦となり、校内の士気極めて旺盛で、教官は勿論、生徒も時局の重大性を自覚し学術訓練に全力をいたして居った時で、私が昭和8年に機校教頭として着任いたした時と非常な相違でありました。校長として教育指導上なんらの不安もなく、唯々過度の訓練により生徒の健康を損せぬ様にと案じて居りました。

 勿論、在任中の思い出として種々ありますが、長田野陸上演習、海上演習、長距離駈足競走等楽しい思い出は沢山あります。今日の世相を見て国家の将来を案じている自分として今最も強く脳裡に浮ぶのは入校式において生徒の父兄御家族の、国家重大の時に愛する子供を国家に捧げ得た喜びと誇りを現したあの満面の笑顔で、今日の世相が自己中心、まして国家を忘れた現実を見るにつけ一層強く私の頭に浮んできますと共に、卒業生が一死御奉公の覚悟を満面に溢らせて校門を出る姿、殊に第53期が卒業の時は、米軍の反撃により戦勢は次第に我に不利となり、一線の将兵は非常に苫戦しつつあった時で、諸君が時局の重大にして困難なる事を認識して一死御奉公の覚悟を持って勇ましく校門を出て行った様子は、今日尚深く印象に残って居り、之を見送る自分の心中には全員が無事凱旋する様にと祈りつつ見送った事を忘れる事は出来ません。私が案じて居った様に級友の約半数が尊い生命を国家に捧げられ、武人の本懐とは申せ、御遺族の御心中を察し、申し訳ない様な気がいつもいたして居ります。

 私は海軍生活42年の間に重要な職務に就く幸運に恵まれてきましたが、人間として最も楽しい美しい思い出は海軍機関学校教頭、校長としての四ケ年の思い出であります。私は人と人に接する事が、如何に人間として意義深きものであるかと痛感いたして居ります。

 諸君は情実もなく、常に損得を超越した純真な海軍の社会より終戦と同時に混乱した実社会に放り出され、物心両面に於ける御苦労は想像に余りありますが、皆それぞれ此の難に打ち勝って第二の人生を出発せられ、社会の各方面に活躍して居られる事を承知いたし喜びに耐えません。我国は戦後経済面の復興に全力をいたし、今日の繁栄の基礎を造った事は申す迄もありませんが、一方に於いて大切な国民精神を忘れて誤った自由主義、民主主義となり、今日世相混乱の根本原因となった事も事実であります。真の国民の幸福は経済及び国民精神両面の安定せる国家によってのみ得られる事実を思う時に、今日最も必要な事は、日本民族の愛国心の復興確立であり吾々は海軍の滅私奉公の教育方針を考えてみる必要があると思います。人間は私心があり自己中心に物を考える傾向のある事は事実で、之が人間の現実の姿である事も事実であります。私は自分の考えを実行する前に、常に相手の立場になって考えてみた上で実行する余裕を持つ事が最も必要であると信ずるものであります。

 人生50年の経験のある諸君に私の人生経験を申し述べる事は無駄かとも考えましたが、何かの御参考になればと考えて、今日の世相に最も欠けて居る二、三の事項に対して申し 述べてみたいと思います。

一、海軍に対する感激と海軍将校としての誇りを忘れぬ事――物欲の為に感激も誇りも忘れた人が多いのは誠に残念に耐えません。自ら選んだ職業使命に誇りと感激をもたぬ様では、成功は出来ません。

一、科学の進歩はともすれば人間を機械視する傾向があり、上下の間の人間味も情愛も忘れられつつあるのが、今日の現実であり、人間一人の力には限度があり、上下一致協力すれば偉大な力となる事は御承知の通りです。私は上下の間の人間味の必要を確信するものであり、指導者は感心せられるよりも常に信頼、信服せられる人間である事が、より必要であり之が協力一致の根源と信じます。

一、人の上に立つ指導者は部下を命令、使役する事が出来る権限と同時は部下を教育指導して進歩発展せしむる義務のある事も忘れてはなりません。命令でも実施方法迄も詳細に示した命令は、部下は機械と同様で、自分の判断工夫の余地も無く、喜びも進歩もありません。命令は其の目的を完全に理解せしめて、実行方法は部下の能刀により判断工夫の余地を与える事を志れてはなりません。その為に指導者は常に部下の特長能力その他について研究が必要であります。今日、部下を使役する事のみ考えて部下の能力向上の責任を忘れた指導者が多い事を考えてみる必要があります。

現実の社会に於いては誤った自由の観念が世相混乱の大なる原因となる。勿論人間は一個の人間として考える事は100%自由でありますが、それが国民の一人とし社会の一員とし、或は家族の一員としての立場に於ける自由には必ず責任上の制約が生まれる事は当然であります。それが忘れられて居るのが今日の世相であります。世の中の進歩に伴いお互いの関係は益々複雑となり、一方に於ては弱肉強食競争が激しくなる世の中となる程、ともすれば自己中心となりがちな人間の現夷の姿を常に反省して相手の立場に対する自分の責任を考えてみる余裕を忘れてはなりません。

一、今日世の中には無責任な批判、悪口が横行して居りますが、昔から自分の上官である中隊長や大隊長の批判をする小隊長には決して優秀な人物ほ居らぬと云われた通り小隊長としての自分の職務に努力もせずに徒らに上司の批判をする小隊長に優秀な人物が居る訳がない。今日の学生運動をみても学生として本分に対する努力もせずに空理空論、騒いで居るのが実情であり、人間は先づ第一に自分の任務に最善を尽してこそその体験に立脚して、上司に意見具申すべきで、自己の任務に努力もせず他を批判する事が如何に空虚のものである事を自覚すべきである。特に将来ある若い世代の人々が深く考うべき事と思う。

一、無私御奉公の精神のもとで生死を共にした海軍生活の間に生れた友情は純真にして他に求むる事の出来ぬ尊いものである事を思い、益々団結を強化して、ともすれば物質万能、自己中心になりかちな現在の社会に範を示して海軍の美風を世の中に残して頂きたい。

以上今日の世相の現実に鑑み、自分の思う事の一部を申し述べましたが、社会の進歩に伴い種々と変化すべき事は当然で、決して従来の考えが全て良いとは思いませんが、国家社会の繁栄は各自が国民として、社会人としての権利より先に責任の自覚にありと思います。

私は今日程吾々の祖先先輩が努力して来られた我国特有の美風を思い、反省する必要大なる時はないと思います。

 私は機関学校の訓育の様な事を申し述べましたが、今一度当時の事を思い出してみる事も決して無駄ではないと思います。

諸君、今後益々自重自愛せられて他より信頼尊敬せられる人間になって頂きたいと思います。之が海軍教育の目的であったと思います。逗子方面御通過の時には御立ち寄り下され度、諸君の御話を伺う事を楽しみと致して居ります。

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