森 栄 教官(58・12・12逝去)
坂元 正一
森教官のご逝去を押本から電話で聞いた時、不思議なことだが、3つぐらいの教官の顔が重なって見えたような気がした。白い軍服姿の顔、紺の稽古着の上の美髭を蓄えた白いお顔、背広姿の無髭の紳士姿。私は兵学校卒業後、実は一度しかお目に掛かっていない。
1974年リオの学会の特別講演に招かれた時、サンパウロにも招聘されて思い掛けず、教官のお世話になることになった。自分が還暦になってみると、教官もまだまだ若くして亡くなられたような気がするが、その当時は、兵学校時代の格差がそのまま残っているようで、-やはり教官という感じが抜けきらなかった。
痩身のスマートさは昔のままで、往年の想い出がある為か日本刀をみるような感じであった。そのバイタリティと滋味あふれるお話ぶりから、正宗より村正を思い浮かべていた。
黒板の字はゆったりと大きく書かれたが、お手紙の字は細かくきちんとしたもので、森教官のいい2つの面がそのまま出ていたような気がしてならない。
沢山の教官や先輩が居られ、直接にお話をする時間はそうなかったにも関わらず、最も親しみを感じ、したう気の生まれる御一人であった。
恐らく、72期に対する愛情のしからしめる所かも知れない。
時は過ぎ、人は去る。しかし乍ら、死してなお慕われることは、その人にとって最も幸福な事であろう。
私の手許には、その後、自衛隊練習艦隊を通じて贈られた黒身の木等があるが、それだけが教官を偲ぶ品となった。その木刀をなぜながら、今一度合掌したい。
(なにわ会ニュース50号21頁 昭和59年3月掲載)