TOPへ     物故目次

森教官・サンパウロネービー会など

押本 直正

昭和三十九年二月の本誌創刊号に、「NEWYORKのクラス会」という報告を書いたことがある。当時在米中の溝井清、富田岩芳、山下誠などに会った話である。

あれから八年余りも経った昨年九月から十二月にかけて約一ケ月半、アルゼソチン、ブラジル、アメリカ、カナダを旅行する機会を得た。ブラジルの目覚しい発展、アルゼンチンの相変らずの停滞など変転きわまりない世界の状勢の一部分を見ることが出来たが、今度の流行で何よりの収穫であったのは、ブラジルで森栄教官とまる三日間、行動を共にすることが出来たことである。

教官は血圧が少し高く、養生をされているほか、御家族ともどもお元気でクラス諸兄にくれぐれもよろしくとのことであった。

この写真は森教官が、新たに購入された三十八口径六連発ピストルの試射の勇姿である。小生も打たせていただいたが、後からのお便りによれば二人の発射弾数合計二十九発で、偶然にも朝顔駆逐艦長森少佐の最初の爆雷攻撃の発射数と一致していたとのことである。

 もう一枚の写真は、サンパウロにおけるオールネービイ会のスナップ。サンパウロ市内には三十万人位の日系人がいるといわれているが、予科練出身者の会合には三〜五十名がつねに出席するという盛大さである。

 この日は予科練13期の松酒氏の肝入りで兵学校出身者だけに集ってもらった。(写真 掲載略)

十一月九日、アナポリスを訪れた。アメリカの兵学校については都竹や坂元が前に書いてあるので省略するが、私の見たアナポリスはワシソトン郊外の観光名所で婆婆気満々という感じであった。このほか、リオ・デ・ジャネイロでは75期の立沢(日本電気技師長)甲斐(日本人学校長)の両氏に、バソクーバーでは74期の多々良氏(北太平洋漁業国際委員会日本代表)に大変お世話になつた。旧ネービイの世界各地における活躍ぶりを拝見し、人生五十徒らに功無きを恥じるのみ。

  

TOPへ     物故目次