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快方に向かわれる森 栄 教官

左近允尚敏

 われらが指導官である森教官が病を得られサンパウロのご自宅で療養されていることは諸君よくご承知のとおりである。

 55年度の海上自衛隊練習艦隊は51年度と同様ブラジル、アルゼンチンなどの諸国を訪問したが、当時小生の副官だった阿部保之君(防大11期)は今回随伴艦「あきぐも」船務長で、サントス入港中の昨年8月中旬森教官をお見舞してくれた。そしてクラス会誌にのせたいから少し詳しくという小生の求めに応じて次の報告を寄せてくれたのでご紹介したい。

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 55817日お昼前、サンパウロのお宅に着きますと、森様御自身が玄関に出迎えてこられ、歩行はややゆっくりでしたが案外お元気そうな御様子で恐縮すると同時にまず安心致しました。

 御長男の話ですと、病気は脳血栓ということですが、今はもう医者の手を離れ、ゆっくり時間をかけて回復を待つ段階にきており、あと一年ほどで元のように元気になるだろうということでした。

 医療環境はやはり日本に比べ劣るとのことで、発病された時はやはり日本の医者に見てもらいたかったそうですが、それでも現在では日本よりも気候の変化が少なく温暖なサンパウロの方が、病後の回復にはむしろ良いようだとも言っておられました。

 森様としばらく司令官の近況や四年前の練艦隊の訪泊の思い出話などをしました。初めに「僕は元々口数が少ない方でね。」と前置され、ゆっくりした口調で話をされ、また私の話を聞いておられました。

 やはり四年前、レセプションに海軍の軍服を着て来艦された時のような溌溂とした印象はなく、話にも気迫というものは感じられませんでしたが、それでも御記憶は確かですし、話の内容などから、いわゆるボケておられるという感じはありませんでした。

 お昼には御家族と一緒においしいにぎり寿司をごちそうになり奥様はじめ皆様の御歓待に感激致しましたが、その折も私たちと同じ物を量は多くありませんでしたが御自分で取って食べておられました。ただしアルコールはだめな御様子でした。

 日常生活では、後遺症が少し残っていて右半身がやや不自由(ほとんど気をつけて見ないと判りませんでした。)で、特に歩行が普通の人より遅いと感じるほかは、特に支障はないようで御長男があと一年ほどで・・・・と、言われたこともうなずけました。

 今回、サンパウロの森様をお訪ねして、想像以上にお元気だったことで安心しましたが、それ以上に、私は奥様、御長男など御家族の森様に対する思いやり、あるいは看護のしかたにたいへん感銘を受けました。例えば発病された時は、御長男は別の家に住んでおられたそうですが、看護、治療のためにと現在は一緒に住んでおられますし、また、先般出張で来日し、森様のクラスの谷井様を訪ねられた際、「あまり興奮させないようにとの配慮から練艦隊来伯のニユースもできるだけ耳に入れないようにしました」と話しておられたと聞きました。親子であればそういった気の配り、あるいは看病など当然といってしまえばそれまでですが、自分自身を考えてみると、やはり森様御一家の家族の団結、思いやりは本当に羨ましいと思います。

 まったく主観的な報告で申し訳ありませんが最後に、奥様や御長男はじめ御家族のいたれりつくせりのお世話があれば、森様もまもなく元の元気な海軍少佐森栄にもどられることと信じております。

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