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 大軍艦旗ありがとう

       森  栄(ブラジル)

 なにわ会から、サンパウロ桜花会あて軍艦旗を贈るとのお知らせをいただき、待機しておりましたところ、今週、リオ・デ・ジャネイロの宮内氏(編注 宮内安則氏、66期、ブラジル山九運輸機工社長、軍艦旗をブラジルまで持参していただいた)から直通電話あり。

これに基づき、本日桜花会の森田竜治氏(セグラテック専務)が、サンパウロの山九運輸事務所に参上し、軍艦旗を頂戴して、ブラジル東京銀行SE(セー)支店に持ち帰り、袰岩(ほろいわ)桜花会当直将校(76期、同支店長)のもとにて、三人にて立派な軍艦旗を展張し、なにわ会のご芳情に深謝いたした次第であります。

 桜花会にも今迄、各方面より頂戴した軍艦旗若干をもっておりますが、今回なにわ会から頂いたものは、これらの中の最大にて、大いに会員一同の士気を鼓舞するものと思われます。

 

 袰岩、森田両氏、私に対して尋ねて日く、

「駆逐艦には、こんな大きなものがありましたか?」

私答えて日く、

「こんな大きなのは積んでなかったろう。これはきっと、軍艦大和用だろうヨ」

というような会話も交わされましたが、何しろ立派な品で、しかも戦闘即応のような吊金までついておりますので、私共三人一同、まず第一に歓びに堪えませんでした。

 なにわ会の皆様、誠に有難うございました。

×      ×      ×

 本年に入り、樋口 直氏、山田 穣氏、河野俊通氏の順に相次いでご来訪あり。河野氏は昨年10月につぎ2回目のご来泊でしたが、その所見に、「第一回目は、ブラジルの明るい洋々たる前途を見たが、第二回目では、ブラジルの今後克服すべき、内部の低いレベルが見えた」とあり、全くごもっともに存じました。

 私たち移住者も、日本の港を出るまでは、河野氏所見の第一回目で発動し、この国の陸上に第一歩を印してからは、毎日第二回目の所見にぶっかり、それぞれに工夫し、前途を開拓しながら今日に至っている訳であります。企業も個人も、この辺の原則は共通しております故、裏を返せば、企業家たちも今までの移住史をよくご研究になられると、よいご参考になるべしと愚考されます。

 また、山田氏より、日下二世の求人依頼がありますが、立派な二世も逐次日系進出企業の重要ポストに吸収され、もはや探し出すのに難しいような状況になりつつあります。

一世が苦難の裡に立派に育て上げた二世諸君にとって、近年の日本企業の進出が、どれだけ士気を鼓舞しているかということも、歓ばしい見逃すことのできない事実と存じます。

 先便にもご一報のとおり、拙宅の子隊共も来伯10年前後となり、どうやら、すこしは使い道があるように成長してきたようで、これらの発展を、これから楽しめるものと予想されております。(中略)

 72期の三氏に併行して、64期の渡辺 久氏、ブラジル原子力開発協力のため来訪、昭和1517年頃の兵学校教官時代をなつかしく語り合いました。(中略)

 最近、世界のエネルギー、食糧危機が論ぜられているようですが、ブラジルが食糧問題解決の一端を担い得る一国であることは、明らかでありますので、農業関係の次男、畜産関係の長女婿たちに、大いにやるよう激励中であります。

軍艦旗のお礼労々、近況ご一報まで。(74628

 

なにわ会御中

ブラジル桜花会 当直将校

袰岩 壮吉(76期)

軍艦旗一流正に受領致しました。厚くお礼申しあげます。

 

  ブラジル桜花会について

 ブラジルに在住するEX-NAVYの集い。

もともと、この会は飛行予科練習生出身の移住者のクラス会であったが、一九七二年頃から漸次発展して現在の大世帯となったようだ。一九七一年十月、押本が訪伯した際、予科練出身の松酒氏のアレンジで、兵学校出身者を集めて会合を開いてくれたことが契機となり、また、日本企業のブラジル進出が盛んになるに伴ない、旧海軍出身者の在勤者も急激に増加したため、予備学生出身者もふくめて、大同団結し、現在では百名近いメンバーを擁しているとのことである。

 桜花会では、海軍記念日(527)と開戦記念日(128)の定例会合をはじめ、練習艦隊の訪伯や海軍出身者の訪伯の機会には、臨時の歓送会を開き会合を重ね、団結を強めている。自ら、従兵長と称して献身的に世話役をつとめてくれている、前記松酒氏をはじめ、司令官、艦長、主計長、分隊長、先任下士官、婦人部隊、当直将校など、海軍の組織をととのえて、それぞれの配置を持っている。

 森教官の配置は艦長。先日訪伯した河野俊通は、とりあえず司令部付であったそうだ。

 いずれにしても、クラス諸兄の訪伯の機会もふえ、そのたびに大変お世話になっているので、なにわ会から、そのお礼と今後の連携を深める意味で、軍艦旗を送った次第。 なお、この軍艦旗は、間中十二、槙原秀夫両君のご尽力によったものである。

(押本記)

 

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