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森教官ブラジルへ

加藤 孝二

昭和40年6月2日 横浜大桟橋より「さくら丸」で軍艦旗を振りながら渡泊された。

ご母堂始め非情にご元気で一家総出の船旅を楽しむかの如く、祖国を離れるというより「南米に雄飛するのだ。孫、息子、兄のいる所へ行くんだ」。といったご様子であった。

夕陽に映えて去り行く「さくら丸」後甲板上、大きく振られる軍艦旗に、教官の健闘とご一家の健康を祈ったのは見送人の等しい感慨であろう。

当日、教官の同期生、自衛隊の方々多数見送りに来られた。我がクラスは、ニューグランドホテルに夕暮れの横浜港を眼下にして、紳士クラスの紳士、姫野 修氏(69期)を囲んで盃をあげる。一号、四号、清談一刻。

互いの健闘を祈って1900解散。当日来浜期友

渋谷信也、足立喜次、樋口 直、泉 五郎、押本直正、国生 生、中村元一、
 長村正次郎、藤野竜弥、加藤 孝二

 

森教官ブラジル案着(書信抜粋)

横浜出帆の翌日、約260名船客の世話人会が結成され、はからずも会長に推されてしまいましたので、毎日あの長半靴をはき、色物の開襟シャツを着て、甲板士官のころを思い出しながら、船内をグルグル回っているうちにサントスについてしまいました。

(中略)

日下毎日家探し中ですが鈴木脩氏のご来伯までに間に合せたいと・・・・・・

当地は今真冬で朝晩セーターを着ており日中室内23度ぐらい、果物、魚も新鮮で安く、娘達もみるみるフクランできたようです。72期友諸兄によろしく。(725 

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