平成22年5月15日 校正すみ
水野君の葬儀に参列して
中井 末一
水野が急逝したとの訃報に一瞬吾が耳を疑った。つい10日程前、高崎のお通夜に行く途中、最寄りの駅で偶然落ち合い、例によって雑談しながら同行したばかりだ。いつもと変らずとても元気そうであったのに。
横浜一中の同級生達と伊豆へ花見に出かけ、その夜(4月15日)宿泊先で急逝された由である。前日14日は奇しくも彼の71才の誕生日であった。
お通夜、告別式は何れも目黒の安楽寺斉場において、神道によりしめやかに行われた。
なにわ会のメンバーを始め、一般の知友が多数参列し、立派な告別式であった。彼の生前の交友の広さをしのばせる。クラスを代表して矢田が弔辞を読んだ。故人をしのび切々と訴え一同の胸を打つ。軍艦旗につつまれた柩の前で「海ゆかば」を斉唱し、水野を見送った。
彼との付合は、海上自衛隊入隊以来40年余り、いつのまにか家族ぐるみのお付合いをさせてもらった。二人の娘さんも嫁ぎ、それぞれに立派な家庭をもっておられる。彼はよく三人のお孫さんの話を、嬉しそうにしていたのを思い出す。可愛いがっていたのだろう。最近では御夫妻であちこち旅行し、余生を楽しんでおられた様である。幸福な家庭であった。
水野は個性が強く、多少強引などころもあったが、反面非常に繊細で何事にもよく気くばりの行き届く男であった。いわゆる浜ッ子で社交家であり、また、世話好きでもあった。
戦後の混乱期、クラス会名簿の作成等、骨身おしまずクラスの世話をしてくれた由。万事頼りになる男であった。
ここに、また一人良き友をなくした。
水野よ! ご冥福を祈る。
(なにわ会ニュース71号11頁 平成6年9月掲載)