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喜多見芳夫親爺の病気お見舞い

上田 敦

 昭和十五年十二月一日、五十三期生徒として、海軍機関学校入学以来、昭和十七年早春伊号第三十二潜水艦機関長予定者として転出されるまで、喜多見芳夫教官(機四十一期)には、初代学年監事として、良きにつけ、悪しきにつけ、新入生徒の精神的支柱として格別の御手数を煩した。近時は、生れ故郷の会津若松市に隠棲、悠々自適しておられたものの病「高血圧による左大腿部の動脈血栓」に悩まされ、昭和五十四年も四月〜五月と入院加療に努められたが、昨年も四月十七日から県立会津若松病院に入院、ついに七月十六日左大腿部切断の已むなきに至られました。

 入院先の主治医が旧海軍の軍医官ということもあって、懇切丁寧、行届いた治療を受けられ、余病を併発することもなく、去る十月六日無事退院、目下、自宅並びに通院先での義足使用の歩行訓練に精を出し、一日も早く完全な社会復帰が出来るよう努力して居られます。昭和56年元旦のお便りでは300米ぐらい歩けるようになった由、ご精進の程慶賀の至りに存ずる次第です。

 五十三期クラス会としても、早速、御見舞金募集の檄を全国に飛ばし、去る十月十日、佐丸・野崎・三沢・上田の四名で、生存者四十九名から寄せられた御見舞の金品を持参、深甚なる御見舞の意を表しました。募金者各位には、直接、教官からの礼状が届いたことと存じますが、上掲写真のとおり、歩行困難な点を除けば、きわめてお元気なご様子で、この点何よりの救いでした。

 喜多見教官のご住所は、次のとおりですから、こ多忙とは存じますが、お便りなり、こ通過時お立寄りして頂いて、御見舞の微意を表して頂きたいと存じます。

(住所 掲載 略)

 

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