TOPへ     物故目次

感深き終戦記念日に際して

機第五十三期諸君〃‥

          沢  達

 先般、貴期会幹事上田君から「なにわ会バイパスーニトス」に何か投稿との、ご照会がありましたので、ここに少し思い出と、所懐の一端を述べ、ご挨拶に代えたいと思います。

 私が機関学校教頭として、諸君を迎えたのは、昭和十五年十一月の末、舞鶴でははや肌寒いころであった。体格の再検査(このとき駈け足その他の動的検査も加えられた)を済まし、晴れの入校式の行なわれたのは、同年十二月一日、この日は日曜日であったが、興亜奉公日の意美深き日、珍しい快晴、三沢禎君ほか百十八名の、希望に輝く短剣姿の諸君が、平岡校長を始め、職員、生徒総員および付添の父兄も参列、輝く軍艦旗の下、将来国軍の禎幹として、護国の重責に任ずる、帝国海軍機関科将校たるべく、奉公の誠を誓った。

しかし、諸君はまだ学生気分の抜け切らぬ紅顔の若人であった。それから諸君は、徹底的に、教官、監事はもちろん、上級生から鍛えられた。

 私は翌十六年十月」呉海軍々需部長片岡主計少将が病気のため、その後任として、至急赴任せよとの命に接し、諸君と接すること僅か一カ年にも満たずにお別れしたので、一緒だった期間は存外短かった。しかし、あの入校当時のウイウイしい姿と、最下級四号生徒として、マゴマゴしていた時代の姿が、深く印象に残り、未だに瞼に浮かぶのである。

 私は教頭として在任中、諸君に特に強調したのは「至誠」 「真剣」 「自律」の三点であつた。そして諸君が、一日一日立派に育ち行く姿は、誠に頼もしい限りであった。当時時局重大、諸君には冬休畷も与えられず、一日も早く一人前になって欲しいと熱望し、その鍛え方は猛烈であった。特に軍人精神の滴養に全力を傾注したが、私はその修養の第一義は「克己心の養成なり」と考えていた。ところで、当時若年で入校した生徒の中に、卒業に際しても未成年者が相当いたのであった。しかし一部成年に達して喫煙願を出し、即刻許可を得て喫煙し始めたのがいたので、分隊監事に調べさせたところ、彼らは未成年時代隠れて喫煙の悪習に染まっていたもので喧しく修養を説いていたとこに、大きな抜穴のあることが判った。それで生徒に、断固「禁煙」を命じたのであった。昨今「人づくり」の喧しく叫ばれている際、そのことが思い出の種の一つとなっている。

 さらに当時、従来の大懸案であった「エンジニヤー」問題が、猛然と再燃、私は石田訓育部長始め一騎当千の武官教官たちと、技術畑出身の平岡校長に、十分なる理解を持ち、重大決意の下、同問題解決に、中央に折衝方を進言したが、その了解容易ならず、必死となって体当りを図り、あるいは時に徹夜してまで案を練りに練ったものであった。幸い昭和十九年十月、終戦の直前になって、やっと解決された。これまた当時を追想して、無量の感慨の種である。

 私は「なにわ会ニュース」を約三年前から送っていただいて、つねに感深く拝見しているが、昨年十月号の「故人の便り」の中に、故寺岡恭平君の凛々しき軍服姿と、ご両親あてのお便りの載っているのをながめ、あの入校当時のお坊っちゃん式の彼が、僅か三カ年の正規教育で、あれだけ立派になり、あれだけ立派なことを言い切り得るに到ったことに胸打たれた。当時機校教育は、兵校や陸士と異なり、華やかな軍の統帥者たるの立場に立てないが、ひたすら護国の重責を果たすに当たり、私心を去って、自己の職責に最善の努力を傾注すべく強調し、教育をする側も、これを受ける側も、ともに一つの目的に向かって、魂と魂の触れ合う真剣そのもので、つねに大地に脚を踏みしめていたことは、その特長として誇りとするものであった。

 最近ある会合で、山岡荘八氏は「日本はここ5,6年すると、どえらいことが起こりはせぬか」との予感がして仕様がないと、現状を痛切に憂えられた。一方ハーマンカーンは二十一世紀は日本の世紀だと言われた。

扇谷正造氏著の「経験こそわが師」の中に、十入、十九世紀はイギリスの世紀で、二十世紀になって、米・ソがそれに代わり、そして今や日本はだんだんそれに代わろうとしていると記されてある。果たして日本が今後如何に進むか、経済力の発展は大したものであるが、何かそこに欠けているものがないか。山岡荘八氏の懸念がないとだれが言い得よう?

 私は最近、世界の全人類が本当に胸に手を当てて、人生観を確立し、全世界の人類が戦争の「むなしさ」を痛感し、互いに共存共栄「人類の福祉」と「世界払平和」の確立に全力を尽くすべきの要を痛感している。

 諸君は、軍隊教育を正規に受け、大東亜戦争に身を以って参加し、そして現在日本の第一線にあって活躍しておられる。どうか護国の華と散った級友各位のご冥福を祈るとともに、あの散華された方々の心持を現在に活かし、日本の前進、いな世界の前進に対して、自重自愛、意義あるご健闘あらんことを切にお祈りして巳みません。

    昭和四十六年八月十五日

TOPへ     物故目次