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平成22年5月5日 校正すみ

加藤君の思い出

辻岡 洋夫

 

なにわ会の輝く星と言われた加藤孝二君が湘南の空から消え去ってから、早や一年余りになる。月日のたつのは早いものだ。

 彼のなにわ会に対する功績等については、多くの友人が書いているので、今回は、彼の死に至る最近の約10年間の交友を通じて、特に印象に残る思い出話を2、3述べてみたいと思う。      

 

  

 或る日、彼の家を訪ねると、芝の雑草取りや草花に水をやって、汗を流していた。やがて一休みとなり、「貴様は本当に草花が好きだなあ」と語りかけると、彼はにっこり笑って、「草木は嘘をつかないよ。手入れすればするだけ、ちゃんと答えてくれ、美しい花や果実を実らせて呉れる、本当に可愛いものだよ」と答えが返って来た。

 また、或る時、手や腕をひっかき傷だらけにしながら、庭の林の中から出て来た。手持ちの小さなバックの中には、「すだち」が一杯入っていた。小生もすだちが大好物なので、鍋物や白身の魚には最適だ。はては、「かぼす」や「レモン」談義に一時を過ごした。後日、小生の玄関のドアノブに、すだちが一杯入った袋が掛かっており、加藤より辻岡へと書いてあった。

 病状が悪化してからも、居間から窓越しにジーット庭の木々を眺めていた彼の後姿が目に浮ぶ。

 

   

 或る時、兵学校時代の話をしていると、突然彼は、某教官は、偉い人だ。陸戦の講義の折に、「弾丸は飛んでくる。怖い!と話されたという。当時は武勇伝が広く語られ、「飛び来る弾丸、雨・霰(あられ)の中に仁王立ち」など勇ましい言葉が一般的で、怖いとか、恐ろしいとかは卑怯者の言葉で、いやしくも軍人にとっては、禁句であった。あの時代に、我々生徒を前にして、あの様な名言をされたことは、本当に尊敬する、まさに勇気のある人の言葉といたく感銘していた。

 その後、時々「弾丸は飛んでくる。怖い」と言って2人で笑いあったものだ。

 

 怖かったこと

 彼は日頃から、草鹿校長を非常に尊敬しており、思い出としてこんな話をして呉れた。戦後間もない頃、校長も同列されていた会合で、彼は常々思っていた陛下の戦争責任について、随分つっこんだ質問を校長にした所、校長は大きな目でギロリと彼をにらみ付けられた。彼はその気迫におされて二の句がつげなかった由、あんな恐ろしい校長の顔を見たのは初めてだった。本当に怖かったよと、しみじみ述懐していた

 加藤家の仏間には、結婚式に校長より贈られた「同道・唱和」の色紙が飾ってある。

 

  

去年12月押本君の訃報が入った。同君はご承知のとおりなにわ会ニュースの編集に、まさに心血を注いだ人。なにわ会も加藤に続いて二本目の柱を失った。誠に残念で言葉もない。仲の良かった二人、天国で思い出話に花を咲かせていることと思う。 

心から御冥福をお祈り申しあげる次第です。

(なにわ会ニュース86号頁 平成14年3月掲載)

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