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平成22年5月5日 校正すみ

角田武之助への弔辞

森川 恭男

昭和53年7月29日、福島 弘君より君の急逝を知らされた。「まさか君が・」と自分の耳を疑った。そして、海軍機関学校第7分隊三号生徒として、日本国防の将来を双肩に荷って、共に学んだあの当時のことが走馬灯のように眼前に浮んだ。

角田武之助君、物事にこだわらず、どんな苦しい訓練にも難しい学業にもユーモアと余裕を持ってことに当り、常に笑みを絶やさなかった姿を思い出す。

君は、過ぎさった大戦で、戦闘機乗りとして数少ない生き残りの一人ではなかったか。気力と胆力、そして優秀なる判断力があったればこそだ。世界に誇るこの海軍精神を実社会で発揮し、天下に有名なニッカウイスキー株式会社名古屋支店長として立派にその職責を果していた君と再び相目見えることができなくなってしまったことを非常に残念に思う。

姿は変っても君は生きている。君が最も愛した家庭の中に、君が最も期待し信頼し薫陶した部下の諸兄の心の中に、そして我々級友一同の心の中に・。

角田君、澄み切った紺碧の空のなかで君はいつまでも飛んでいる。

角田武之助君のご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

昭和53年8月1日

海軍機関学校第53期

代表 森川 恭男

角田武之助の葬儀

角田は7月28日出張先の三重県津市のホテルで急逝、通夜は31日名古屋市大須4丁目の東泉院で行なわれ、53期から大山隆三、福島 弘、72期からは早崎義範、渡辺収二、杉田政一が出席した。告別式は8月1日午前10時から同じく東泉院行なわれ、53期の福島 弘、佐丸幹男、小暮新八、野崎貞雄、森川恭男が、72期からは村瀬信義、杉田政一、松原義人が参列し,森川が代表して弔辞をささげた。

(なにわ会ニュース39号12頁 昭和53年9且掲載)

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