TOPへ   物故目次

故飯盛秀雄兄さようなら

村山  隆

平成5年4月、飯盛秀雄兄は左頚動脈の異常により体調を崩して以来10数か所病院の入退院を繰り返し、何とか元の健康な生活に戻れるように、必死に病と闘ってきたが、平成15年1月15日2350不帰の客となった。

 1月23日通夜、24日葬儀告別式がしめやかに行われ、金枝健三兄が弔辞を、そして参列のクラスメートで海軍機関学校校歌を斉唱し、軍艦旗に覆われた棺に最後のお別れをした。

 運動神経の抜群な彼は、機関学校時代、水泳、体操、球技など体育面ではクラスの模範生徒であり、特にラグビーの分隊対抗試合では、俊足の彼は、WTBとして縦横無尽に駆け回り、その目覚しい活躍は今でも話題にのぼっている。

 戦後はスキーに凝り、会社の同好会で海外にも遠征していたそうである。

 会社をリタイヤーし、気楽な身分になる者が多くなってからは、野崎兄の発案で、冬の菅平にスキー好きの級友が集い、彼もその一員となり、スキーの醍醐味を満喫し、飯盛兄を教官として教習を受けた私の家内は、優しく丁寧な教え方でメキメキ技量を向上することが出来、飯盛教官殿を褒めることしきり、懐かしい思い出である。

 飯盛兄 安らかに眠って下さい。

合掌

(なにわ会ニュース89号13頁 平成15年9月掲載)

TOPへ   物故目次