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平成22年5月2日 校正すみ

三度脱皮変身した伊佐弘道を偲ぶ

大谷 友之

平素の言動より、なにわ会の最後の生残りの一人かと思われていた伊佐弘道が意外にも肺癌で急逝した。余りの呆気なさに未だ信じられない気持ちで一杯である。

(この投稿中期友に対しての敬称は省略させて貰う。悪しからず)

五月未だったと思うが、伊佐が肺癌らしいという噂を聞き、まさかと思いながら電話をした。

電話口での話し振りは、平素とまったく変らなかったが、病状については、風邪かと思って受診したところ、医者の診断は肺癌の疑いがあるといわれたという。

自宅の近所にある75期の後輩が院長の『ルカ病院』が肺癌の温熱療法をやっており、よさそうに思う。80歳の年齢では手術でもないだろうから、この療法に賭けてみようと思うとのことだった。

人間の生命ははかないものだ。元気を取り戻して、新しい肺癌の治し方はこうだという伊佐一流の説話が聞けるものだと楽しみにしていたのに、その後1月もたたないうちに、不帰の人となってしまった。

伊佐との付き合いが始まったのは、54分隊一号で同一分隊になってからであるから、もう60年になる。

その時の54分隊は62分隊と共に自習室が二階にあるという一寸変った分隊であった。74期生が大勢入校して来たため、一階の自習室だけでは不足し、二階に押し上げられた訳である。

少し横道にそれるが、一番元気そうだった伊佐が死亡して、54分隊一号の現存は、富尾、長村と大谷の三人だけとなり、隣の62分隊で音信のあるのは青木泉蔵ただ一人となった。それぞれどこが痛い、あそこの具合が悪いという半病人の集団になってしまっている。

この54分隊には、華々しいエピソードというものはない。一号になってからは四号時代とは違い、生徒館生活にも慣れ、適当に息抜きすることも覚え、どちらかといえば厳しい中にも楽しく一号生活を送った方のグループに入るのかも知れない。卒業の直前、海空の分離があり、憧れの飛行機に行く者が発表された。分隊員10名中7名(富尾、相沢(昇)、田中(たくみ)、長村、中岡、河口、伊佐) である。なぜ、俺が漏うれたのかと一寸羨ましく思ったことなど、古い記憶が蘇って来る。

戦争中は海、空に分かれていたので分らなかったが、伊佐の活躍振りは多胡の弔辞で知ることが出来た。図太く勇猛なヘルダイバーとなり、特攻隊に組み入れられ、軍神一歩手前まで行ったという変身振りについては、自ら話すことがなかったので、初めて知ったことであった。

戦後の再会は、東京丸の内であった.こちらは、新入社の見習社員で、あくせく勤務していた時、偶然路上で伊佐に出会った。精密器械、光字器械の輸出専門の商社の代表者として、外貨獲得の表舞台で活躍しているという。その脱皮、変身振りに感心したり、驚いたりもした。

その後、こちらはサラリーマンの常として各地を転々としていたので、しばらくはご無沙汰の状態が続いていた。

交友を取り戻したのは、久し振りに東京に戻り、50歳近くになってからで、クラスとのつきあいとして、下手なコルフを始めるようになってからである コルフが終ってからの帰り道には、時々伊佐の車に便乗させてもらった 流石かつてのヘルダイバーの生残り、運転はみごとなものであった.そのうちに、54分隊会が開催されるようになり、三号に言わせると『伊佐さんは柔和になられた』ということで、彼独特の悠揚迫らぬ大人の風格が増え、一席の講話を承ることもしばしばであった.

6年前、ニュース75号に 「藍川由美と戦時歌謡曲」と題して、戦時中の古関裕司が作曲した軍歌の傑作を藍川由美がコンサートで熱唱したことを報告したところ、次回のコンサートには、家族連れの岩波正幸さん(欣昭の兄)や泉五郎に交じって伊佐も顔を出して呉れた

『久し振りに魂を揺さふるような旋律に思わず涙が滲み出て、昔の凛々しい若武者振りを思い出し、充実した時を過ごすことが出来た』と冒頭に述べた「藍川由美が歌う古闇裕司の軍歌で辿る激動の昭和史」と題する長文の投稿をして呉れた。(ニュース77号36頁〕

これは年金生活に入ってから、早稲田大学(エックステンションスクール、オープンカレッジ)で昭和史を勉強した成果の発表でもあった。

今、改めて読み返してみて、伊佐の真面目な一面を偲ばせる力作であると思う。これを足場にして、もう一歩踏み込んだものをニュースに発表してもらいたかつたと思うと悔やまれてならないと共に、伊佐の変身振りに敬意を表するものである。

顧みれば六十年間「伊佐」「大谷」と呼び合って、時と場合により濃淡の差はあったが、長い付き合いであり、遠慮なく腹を割って話の出来る掛け替えのない友人の一人であった。

伊佐も、もう少し長生きして、お互いに毒舌を交わしたかっただろう.残念でならない。

 (平成14年9月27日 記)

(なにわ会ニュース88号7頁 平成15年3月掲載)

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