井上成美校長訪問
加藤 孝二
12月10日、なにわ会ニュースと再製なったアルバムを井上校長に提出すべく、樋口 直と横須賀長井のご自宅に伺った。
事前に電話でご都合は伺わなかったが、井上校長と同期の草鹿校長の他、2・3の先輩に校長の近況を伺い、日課のうち一番適当な時刻午前10時到着を予定して出発(昼食後は午睡される由)当日快晴、風力4、白波たつ相模灘をふまえたる富士、伊豆の山々、広重の絵の如し。
荒磯の丘の下に車を置いて徒歩5分との情報を無視し、軽自動車の小生の愛車は0.1トンに近い重量物、樋口を乗せてリヤカ―道を一気に走り登る。(帰途180度回頭に苦心したが、樋口の糞力のお陰でなんとかなる。)
井上校長のご自宅は丘の上にあり、近所の人に聞けばすぐ分る。案内をこえば、夫人暫時お待ち下さいとのこと、72期が来たと言うのでお風邪で就寝の所を着変えて出て来られた。
(上官訪問の際、予めご都合を伺うべしと言う躾教育を守らざりし両名、恐縮の極み、3分で早々に辞去した。)
アルバムを手にされた校長は大変喜ばれ、「これで私が校長をしていた時の7T期から75期までのアルバムが揃った。私も80になります。今は一寸風邪だがどうと言うほどのものではありません。諸君によろしくお伝えください。」と顔を紅潮されながら話された。「ワシのクラスがドン尻だワイ」と益々両名小さくなってひたすら平身低頭、名簿があったら見せてくれとのご要望があったが、既に訂正箇所多数なので、新名簿が出来次第お届けしますと申し上げた。
生徒時代に直接対話した事のない方だが、今の政治家とは正反対、僅か3分間の対話だが話の語尾、諾否、責任の所在をはっきりされ指揮官たる者の心得の手本を見せつけられました。また、どちらかと言えば、生徒のとって雲上人のように思えた海軍のわれわれの校長が今もなお生徒の行末を無言の内に常々心がけて下さる事は、兵学校に勤務したご自分としては当然のこととお思いでしょうが、有り難いことである。
帰途、樋口と話した結論、「今度暖かくなったら任ちゃん(草鹿校長の別称)のお供して又行こうや」