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平成22年5月13日 校正すみ

福嶋 弘君への弔辞

杉田 政一

 生者必滅、会者定離とは申し乍ら、かくも突然に君の計報に接しようとは……まことに信じ難く、我耳を疑うばかりでありました。関係先に電話しても受話機を通して聞こえるのは、一様に驚きと悲しみの声でありました。

この前の日曜日、東海海軍三校クラス会がルブラ王山において催され、君は副会長として乾杯の音頚をとるに当たり、その前に七十六期大島清教授が長生きの秘訣を講じられたのを敷衍して『皆さん、健康で長生きしましょう』と杯を挙げられたのが眼前に彷彿と致します。

顧みれば、君との交友は五十年の長きに及び、去来するものは数々の忘れ難い思い出ばかりであります。出身は舞鶴と江田島とで異なって居りましたが、終戦後、私はふとした縁で常滑市に定住することになり、同じ潜水艦乗りであったことからも、同市在住の君と急速に親密の度を加えて行きました。海軍のクラスの交友は、親兄弟にも劣らぬものであると言われますが、気のおけない、俺貴様の友情は何物にも替え難い貴いものであります。

海軍関係の会合を始めとし、顔を合わす機会も多くありましたが、暫らく会っていないと、どちらからとも無く電話して、とりとめもない話をして安心することも度々でありました。

その君はもう居ない。失って初めて知る友情の貴さでありましょう。君は頭脳明噺、バイタリティに富み、情熱家であると共に、少年のような純真な一面を併せ持つ、得難い人物でありました。水と緑が消え、環境が破壊されることを愁い、ライフワークとして、地球環境の浄化を目指して居られましたが、その総仕上げを見ない侭、忽然として、この世を去られたことは、心残りであったと思われますが、幸にして次男、敏勝君が君の遺志を継がれるでありましょう。また、長男、恒之君は時代の先端を行くコンピューター技術に取組み精進して居られます。君に代ってお二人で、母上を護り立派な家庭を築かれることを信じて疑いありません。

福嶋君、安らかにお眠り下さい。終りに君の急逝を悼む詩一篇を捧げたいと存じます。

哭福嶋弘君急逝  平成六年五月三日

凶音駭耳只茫然 畏友倉皇皇赴九泉

非夢夢乎呼不答 香煙一縷哭霊前

凶音(死去の知らせ)

畏友倉皇(あわただしく)として

九泉(あの世)に赴く

夢に非ざるか夢か

呼べども答えず

香煙一縷(一条の線香の姻)

霊前に哭す(泣く)

(なにわ会ニュース71号13頁 平成6年9月掲載)

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