平成22年5月14日 校正すみ
台南の思い出
若松 禄郎
昭和19年11月7日台南航空隊で内地へ飛ぶ飛行機を待つこと3日、宿泊していた「だるまや」から弁当持ちで、通ったときのことである。
そもそも、レイテ戦酣の折、駆逐艦潮風をボルネオ(北部ジェッセルトン)で退艦し、マニラ・台南へと乗り継いで到着した。
指揮所で待機するのだが、このころは輸送機も少なかったのだろう。三日目の朝、件の通り飛行場を歩いて行くと、一人士官らしいのが眩しそうに雲もない空を見上げている。なんだ宮地じゃないか。当時クラスメートに会えるなど小艦艇乗りには誠に懐かしい思いである。
教官でもしていたのか。3千米上空に、戦闘機がケシ粒のように見える。さっぱり分らないが一緒に見上げていた。一仕事終ったのか説明してくれた。
むつかしいんだよ。高位置からの反行する敵機を僻角30度のところで、横転降下し敵機の真上より攻撃する絶対優位な攻撃法だ。そのまま、仮装僚友機の真後をスレスレにかわす。
下手するとぶつけるからなあ! その訓練をしているんだ。等々……。
相手、目的によって種々変ることと思うが聞くこと何もかも新鮮であり、小生の得た実戦の対空知識の全てであったことを思いだす。富士は意外と親切丁寧なところがあった。茶目な目を睡らした講堂での顔も思いだす。
御冥福を祈る。
(なにわ会ニュース53号39頁 昭和60年9月掲載)