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平成22年5月2日 校正すみ

安藤寿郎君への弔辞

亀谷 敏明

謹んで、故安藤寿郎君のご霊前にお別れの言葉を申し上げます。

4月4日朝、君の訃報を聞いて、まさかと俄には信じられませんでした。君が久しく体調を崩されていることは承知していましたが、最近は割合元気に過ごしていると聞いていたので、こんなに突然に亡くなられるとは思ってもいなかったのです。

 

顧みますと君とは昭和15年12月、海軍経理学校入校以来2年10ヶ月の間、築地の生徒館で寝食を共にし、苦楽を分かち合った仲でした。

昭和18年9月、海軍経理学校を卒業後は2ヶ月の練習艦隊を経て太平洋戦争に参加し赴任先の各艦に別れることになりました。最初は戦艦・巡洋艦に、ついで駆逐艦・掃海艇等の小艦艇に配属されました。昭和19年中頃以降、戦いは我に利あらず戦線は後退を余儀なくされてまいりました。その間、多くの戦友が命を喪うことになったのはまことに遺憾でありました。幸い我々は命永らえて終戦を迎えることになりました。

 海軍の勤務を終えた君は、第2の人生を海上自衛隊に求め、戦後いち早く自衛隊に参加されました。自衛隊退任後しばらくして、昭和63三年に君は千葉県君津に居を定め、悠々自適の生活を送られたように聞いていました。海軍経理学校の同期の集まりである燦々会で嘗てゴルフ会を催したことがありました。その時、君の華麗なフォームと抜群のスコアに感心した記憶がありますが、その腕前は君津で仕上げたものと思っていました。

 不運にも君は平成3年膀胱を病み、一時入退院を繰り返していたようですが漸次健康を回復されたように伺い安堵していました。しかしながら2・3年前からまた体調を崩され、通院の都合も考えて江東区大島に転居して静養に努めていましたが、今回不幸な結果になったのはまことに残念の極みであります。

 

海軍時代を振り返ってみますと、お互い海軍には生徒時代を含めても6〜7年の短期間にとどまっていましたが、海軍を愛し同期の仲間であることに君が誇りを抱いていたことは、我々も等しく同感しているところであります。海軍士官としてのモットー「スマートで、目先が利いて几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」の訓えを君は身をもって体現していました。更には暖かいハートナイスな人柄をもって付き合う人を和ませていたことはまことに見事でありました。

 最近体調を崩されてからは、クラスの月例会や旅行会に欠席勝ちでありましたが、以前は君が積極的に参加してくれたことを思い出します。君の斡旋により平成12年千葉県鴨川シィワールドに集まったことも楽しく思い出します。

 花吹雪の舞う今日4月10日、君を送るに当たって、私は好きな言葉「散る桜、残る桜も、散る桜」の想いを一入深く感じております。

 安藤君、安らかにお休み下さい。

(なにわ会ニュース91号23頁 掲載)

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