平成20年後期歩こう会(その1)の記
浜離宮恩賜公園界隈巡り
上野 三郎
平成20年11月14日高田俊彦君指導のもと、久し振りの小春日和の中、実施された。11時ゆりかもめ入り口に集合、参加者は写真の9名。
左より高田、上野、浦本、深尾、幸田、 深尾夫人、品川夫人、小松崎夫人、伊藤夫人、 |
全く景観を一変した汐留ビルの谷間を抜けて、大手門橋を渡り「浜離宮恩賜公園」に到着。
「浜離宮恩賜公園」
園内に入り都心にこのような静寂なスポットがあるとは全くの驚きである。
@ 三百年の松
江戸時代、6代将軍徳川家宣が改修時に植えたと伝えられている、
A 潮入れの池とバックの近代ビル
海水を引きいれ、潮の干満による眺めが楽しめるようになっている。
バックは近代ビル対象的だ。
B 中島にあるお茶屋で休憩
お伝い橋を渡ると御茶屋がある、中では抹茶が振舞われた。(有料。)
外人(ポーランド人と言っていたが)が正座、日本人はあぐら、此れは何を物語るか?
(浜離宮恩賜公園の歴史)
@ 江戸幕府が開かれて暫くは将軍家の鷹狩りの場であった。
A 1654年甲府藩主松平綱重がこの地を拝領、埋め立て別邸を建てる。
B 6代将軍家宣が将軍家の別邸として大幅な改修を行う。
C 幕末外国人接待所として石造洋館である延遼館(幕府海軍伝習屯所)が建設され明治維新後も迎賓館として使用された。明治維新後宮内省の管轄となり名前も浜離宮と改められた。
D 1945にGHQの要求で東京都に下賜された。
「海軍発祥の地―旗山」
幕府の軍艦操練所のあったとろが維新後海軍省の管轄になり、海軍省や海軍操練所(海軍兵学校の前身)が設置され、そこの築山の上に 「海軍部旗」が掲揚された。この旗をみて人々は旗山と呼んだ。現在も海軍発祥の地として「旗山」と刻まれた碑が神社前に建っている
「海軍経理学校の碑」
この地に立って、兵学校のあった江田島と比べると、経理学校出身者の融通性のある性格も立地条件の差が大いに影響していると感じる。
1400予定の散策を終わり、座敷に座って軽く喉をうるおし、食事を食べながら懇談、1440解散。
今日の歩行は12,000歩、海軍ゆかりの土地の散策を兼ねての想い出深い歩こう会となった。これを企画指導してくれた高田君に感謝。