98号
癌との闘い 資料100冊
小灘さんは,回天を記した本には,戦果を過大に書いたり,事実に反することを書いたりすることが多いとみていた。それに対し公に訂正を求めると「どうしても個人攻撃になってしまうので言いにくい」と伸子さんに話していた。「争い事を徹底的に避ける性格でしたから」.もともと,自分の戦争体験を家族に積極的に話す人でもなかったという。
変わったのは6年前,癌と診断された時。「自分しか知らない事が埋もれてしまう」と危機感を持ったからだった。
近年は映画やテレビで回天が取り上げられることが増えたが,「回天はいったん乗り込んだら出られない」などの誤りや搭乗員の思いを汚すような描写が目立つという。小灘さんは自ら集めた資料を基に制作側に反論,「誤って伝えられかねない。何としても生きていなくては」と伸子さんに話した。
「正しく書いてほしい」と、小灘さんが私に渡した資料は手書きも交じり、詳細を極めた。ここ数年で米国の関係者との交流も深まり、「貴重な資料が入るようになった。史実を少しずつ積み上げていかねば」と意気込みも語っていた。
その思いは、看病をする伸子さんら家族には,もっとストレートに伝えていた。昨年8月、放射線治療で体が動かなくなるかもしれないというとき,小灘さんは「正しい歴史を,真実を伝えること,それが生きる理由だ」と言ったという。
癌の転移による激しい痛みに耐え,聴力も視力も殆んど失う中で,家族に頼んで文字を10倍にも拡大して回天映画評などを読み続けた。
「活(い)かさん 真実の記録と記憶を
伝えん 真の紳士 武士たりし人々の志 俤を」
書類を整理していた家族が見つけた小灘さんのメモ。亡くなる1ヵ月ほど前に病床で書いたものだった。妻 郁子さん(77)は「死を宣告されても動揺しないが,「回天の真実を残し終えないのは悔しい」と言っていましたと振り返った。
「大事なものは何か。守らなければいけないのは何か。国民一人一人が考えるべきだろう。が,守るべきは,掛け替えのない民族ではないか。」なくなる10日ほど前,伸子さんは父の言葉を病院のベッドで聞いた。こんな思いと一緒に残された資料はファイルにして100冊を越す。「伝える」ことに最後までこだわった父を送った伸子さん。「あの戦争を,体で感じるような形で自分の子供たちに伝えたい。」と,私に話した。