TOPへ 

98号  )

  故小灘利春君が生前交流のあったアメリカ人から
伊藤伸子様(小灘 利春の三女)宛の手紙

 

その1 Mr. Gerald. P. Kruth手紙 (日本語訳)      2007年1月28

伊藤伸子様

お手紙ありがとうございます。「小灘」とあるのを見て、たいへん喜んだのですが、読み始めて、息がつまり、悲しみに包まれました。

私はお父上を國神社にて何度か取材させて頂いております。2000年の春、日本におりました。現在、1942年のフィリピン、バターンにおける、アメリカ、日本、フィリピン軍の体験について執筆中です。お父上は、これには関係ありませんが、私は、いわゆるハリウッド映画に出てくる日本兵でなく、本当の日本兵について知りたく思い、さまざまなところで、太平洋戦争に参加した旧日本兵に話をうかがってきました。

お父上と、山田 穰氏が、神風の信念についてインタビューを受けて下さいました。日本軍、日本国に対する責務についてのお考えを数時間にわたり、興味深くお聞きしました。自らの命を捧げることを、前もって承知したこれらの方々の献身、自尊心に深く敬意を抱きました。

特に私にとって印象的だったのは、お父上の、国を守るという強い気持ち、そして、特攻に向かった人々の信念と考えを、英語で、理路整然と説明する能力でした。「TOKKO(特攻)」と言う2ページの文を頂きましたが、たいへん興味深いものでした。お手紙にあった父上の書かれた文と言うのはそのことかと思います。もっと書いてくださっているとよいのですが。

例の9.11の後、父上は私への手紙で、「特攻をテロだと言う人は多いが、違います。特攻は、軍事目標を攻撃するのであり、決して市民を攻めるものではありません。」と、書いておられました。以前より、是非お考えを出版されるよう、お勧めしておりました。いずれ太平洋戦争を戦った兵士は皆、この世から消えて行くでしょうが、彼らの犠牲と体験はわれわれの記憶から消えることはありません。そこから学びたいと思う学者、作家は常に存在します。

おっしゃるとおり、お父上はサムライでした。こちらテレビの歴史チャンネルでもお父上を拝見しました。小灘さんはいつまでも忘れられることはないでしょう。戦争によって、命を捧げるよう求められるのは恐ろしいことですが、お父上が、国を愛する、栄誉ある、勇気ある人物として認められていることは誇りに思ってください。英雄という表現もいいかもしれません。お父上と知りあえたことを誇りに思っております。あなたに、そして、郁子様にも心よりお悔やみ申し上げます。

その2
 Mr. Willis. Falk(アメリカ人)の手紙(日本語訳)

お父上への私のメールにお返事下さり、誠にありがとうございました。御尊父ご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。

私はお父上とのやりとりで、本当に日本国民に対する考えが変わりました。実は以前は日本人に対して軽蔑の気持ちしか持っておりませんでしたが、やりとりの中で、お父上との友情を有り難く思うようになりました。この友情は今や日米の間にも存在するものです。

私は81歳になりますが、腎臓、脳、肺の癌を経験しております。最後の肺癌が1980年代でしたので、生き残っているのは大変幸運だと思っております。お父上との友情を深く感謝しております。心をこめて。