97号
安倍首相の御祖父と父君の同道来艦
堀 劍二郎
昭和44年「1969年9月海上自衛隊の護衛艦「あまつかぜ」に岸元首相と安倍議員(後の農林・通産・外務大臣)が、同道で来艦された。
当時私は、同艦の艦長在任中で、米国の日本人移民百周年の記念行事に参加してサンフランシスコ桟橋に係留して、パーティ、一般公開等を実施していた。岸元首相は当時日米協会会長で記念行事の現場視察としての来艦、安倍議員は随行という形であったが、今にして思えば、現総理の御祖父と父君の連れ立っての来艦ということになる。
艦内では、艦橋をご案内した後、士官室で休憩して頂いた。岸元首相は非常に機嫌よく、くつろいで話された。お話の中には、20歳代で、初めて渡米された時の事や、「私のことを怪物と書くのはまだよいとして、妖怪というのは頂けない」というのもあった。
「あまつかぜ」が日本人移民百周年記念行事に参加した経緯を、当時頂いた日本人会発行のパンフレットの記事から紹介する。
「移民の始まりは会津藩の人によって行われた。会津戦争の戦火を逃れ、官軍の捜索を避けながら会津から新潟に着いた
農民、大工、武士、女子供を含む合計26人は会津藩相談役オランダ人シュネルの手配によるパシフィック・メールラインの外輪船「チャイナ」及び他の一隻に分乗して米国に向い、1869年(明治2年)5月、サンフランシスコに入港、河船に乗り、サクラメントへ、次に陸路コロナ、ゴールドヒルに到着した。」以上がパンフレットの一部である。
この事実が、昭和44年(1969年)3月に時のカリホルニア知事、後の大統領レーガンによって認められると共に日本人移民の米国に対する貢献が讃えられて、1969年を日本人移民百周年とする旨が知事によって宣言された。
この宣言をもとに記念行事が日米政府によって計画されたのであるが、必要経費を賄う寄付に応ずる条件として
日本人会は皇族御一方及び軍艦1隻の参加を要請し、護衛艦の派遣となったものである。