96号
平成十八年度なにわ会年末クラス会記
金枝 健三
記
日時 平成18年11月30日 木曜日
場所 アルカディア市ヶ谷(私学会館)
会場五階からの眼下の眺めは、緑に光るお堀一面に木々の紅葉が映え、晩秋のその様は、一幅の画、見事と申すよりほか言葉がありませんでした。級友達は定刻以前より三々五々受付を済ませ、窓際のソファーで久しぶりの再会に話を弾ませています。出欠締め切り後の11月1日の幹事会では、締め切り期限の後も出席回答があると思はれるので、今回の出席総数も前年同様80名を超すとの予想を立てていたのですが、いざ蓋(ふた)を開けてみると直前の欠席の連絡が相次ぎ、80名を大きく割って仕舞いました。これも加齢による現象で致し方がないと申すべきでしょうか。
結局 (兵)52名、(機)7名、(主)7名、ご遺族、同伴者計5名、併せて参加者総数は73名となりました。(出席名簿 後掲)
定刻 1200 全員 着席
司会の松下幹事が開会を宣し、都竹年度代表幹事の挨拶。要旨を列記しますと
一 本年度物故者に哀悼の意を表す
兵 科 7名 (死没月日順)
大野嘉秋君 | 茂木 允君 | 三原卓士君 | 鈴木 脩君 | 温品逸水君 | 小灘利春君 | 宇野俊夫君 |
機関科 5名 (死没月日順)
橋元一郎君 | 齊田元春君 | 飯塚正雄君 | 大森慎二郎君 | 詫摩一郎君 |
主計科 1名 槇原秀夫君
総計 13名
クラス会翌日の12月1日に辻岡洋夫君の訃報が 更に届きました。
2 名簿係交代(泉君から伊藤君へ)と
3 来年の参拝クラス会開催日時の件
続いて、新しく名簿係となった伊藤ニュース編集長が壇上に立ち、兵科電話連絡網改定案の説明(詳細別頁)がありました。伊藤君には仕事が集中して真にご苦労様です。身体には気を付けて下さい。
次に 都竹年度代表幹事から
新旧年度幹事交替の報告があり、新幹事4名が壇上に並び挨拶がありました。以上で報告事項はすべて終了し、次に北陸富山から遠路馳せ参じた高松道雄君のスピーチ、続いて彼の音頭で乾杯し、打ち方始めとなりました。
今回の会場配置は一卓7〜8名の丸テーブル、アルコールは各自自由に好みの品を持って来る方式で行われました。ここ毎年の事ですが、新庄君が各テーブルを回って写真を撮って呉れた事に、級友に代わり感謝の意を表します。
各テーブルで話に花が咲く中、1415今年も相澤幹事の指揮の下{軍艦}を全員で声高らかに斉唱、続いて、松下幹事からの来年もまた、國神社で元気に会おうとの閉会の言葉で解散となりました。
これから寒気益々厳しくなる時、各位におかれては健康に留意し、よき新年を迎へられ、来年も亦元気一杯で再会出来る事を祈りながら筆を擱きます。(12月15日記)
日頃より思って居りましたが、主計科の方々には、小人数の為年度幹事役の回り方が速く、ご苦労と思っておりましたが、今回の受付作業の折、神林幹事が「本日手元に集まった金はクラス会終了の帰途に最寄り銀行に預け送金依頼をする」との言葉に、裏方作業の大変さを重く受け止めた次第です。ここに主計科各位に深く感謝の意を表します。
18年度年末クラス会参加者73名(兵53名、機7名、主7名 会友4名 遺族2名)
(兵) | 相澤善三郎 | 阿久根 正 | 旭 輝雄 | 足立 英夫 | 足立 之義 |
(妻)玲子 | 足立 喜次 | 安藤 昌彦 | 池田 武邦 | 泉 五郎 | (妻)才子 |
市瀬 文人 | 伊藤 正敬 | 上野 三郎 | 浦本 生 | 岡本 俊章 | 門松 安彦 |
草野 家康 | (妻)弘恵 | 幸田 正仁 | 畊野 篤郎 | 後藤英一郎 | 後藤 俊夫 |
小林 勝 | 左近允尚敏 | 笹川 勉 | 佐藤 静 | 渋谷 信也 | 定塚 脩 |
新庄 浩 | 杉田 政一 | 高松 道雄 | 都竹 卓郎 | 豊廣 稔 | 中井 末一 |
名村 英俊 | 林 藤太 | 樋口 直 | 平川 進 | 宝納 徳一 | 堀 剣二郎 |
松下 太郎 | 間中 十二 | 溝井 清 | 森園 良巳 | 矢田 次夫 | 山下 茂幸 |
山下 誠 | 山田 穣 | 山田 良 | 山田 良彦 | 若松 禄郎 | 和田 恭三 |
(機) | 片山 勇 | 金枝 健三 | 藏元 正浩 | 佐丸 幹男 | 野崎 貞雄 |
三澤 禎 | 室井 正 | ||||
(主) | 阿部 克巳 | 亀谷 敏明 | 神林 勗 | 高杉 敏夫 | 高田 俊彦 |
深尾 秀文 | 吉江 正信 | ||||
(会友) | 岩松 重裕 | 後藤 寛 | 藤瀬 韶国 | (妻)保子 | |
(遺族) | 中西 英子 | 北川 裕子 |