TOPへ 

94号

左近允尚敏著「敗戦 1945年春と夏」を読んで

向井寿三郎

 

 

 

一九四五年四月初め、小磯内閣に代わって鈴木(貫太郎)内閣が発足した。これを機に連合国との和平の仲介をソ連に依頼する動きが具体的な形をとりはじめた。

この『敗戦』という本は、当時の米・英・ソを中心とする国際情勢の分析と、その背景のもとにすすめられた日本政府と佐藤駐ソ大使の和平工作をめぐるやりとりにはじまり、米国の原爆開発・使用、ソ連の対日参戦、国体護持論に明け暮れた激動の時期を経てポツダム宣言受諾にいたる一九四五年春から夏にかけての(にが)くて(つら)い日本の足どりの記録である。

それら全般について、あれこれものを言うのは、私の柄ではないので、読み終えた後の感想の一端を述べるべく筆をとった次第である。

日本の外交暗号が、日米開戦前から米国に解読されていたことは、無論前から知っていた。米国が真珠湾攻撃を許したのは、爾後のことを考えたルーズベルトの(わな)だったという話まで聞いた。米国は解読した極秘情報を陸軍長官の指示で政・軍のトップクラスの要人に配布していたという。この本に採録してある和平工作をめぐる東郷外相と佐藤駐ソ大使のやりとりのほとんどは、米国が解読した日本の暗号電報に()っている。また、ソ連も、米国に遅れること一年ばかりで、日本の外交暗号の解読に成功している。筒抜けであることも知らずに手のうちを明かす東郷外相の佐藤大使宛電報を読んでいて、思わず「東郷大臣、いけない、いけない」と声をあげたくなったのも一度や二度ではなかった。

巻末に挙げてある参考文献を見ると、和文本の二倍以上の数の横文字本が並べてある。周到な博引傍証ぶりとともに、この本を書くに当たって果たした解読暗号の役割の大きさを示しているといえよう。

読み終えて、ふと「壮大なる無駄」という言葉が頭をかすめた。が、直ぐそれは打ち消された。「壮大なる無駄」には、間抜けに伴う愛嬌のようなものがあるが、読後の私を支配していたのは、「空しさ」の一語であった。

一九四二年中頃には、海軍暗号も敵の手に落ちていたという。国を護るため、特攻はじめ何百万という軍人、非戦闘員が命を捨てた。

あの戦争は一体何だったのか。まるで目明きと盲者の戦争ではないか。勝敗ははじめから決まっていたのだ。

およそのことは知っていたことだが、読み応えのある本であった。多くの人たちがこの本を読んで、あの戦争の空しさについて思いを新たにしてくれればと思う。そして、それが、戦争について、突き詰めて考えるきっかけになることを願う。