94号
大東亜戦争か太平洋戦争か
編集部
「なにわ会ニュース」九十三号の編集後記でふれた表記についてまとめてみた。
九三号の説明に若干の誤りがあったので、再度記述する。
一 大東亜戦争という呼称の由来
昭和十六年十二月十日 大本営政府連絡会議は、「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期ニ附テ」を協議し、昭和十六年十二月十二日 閣議で以下のとおり正式に決定した。
今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と呼称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして戦争地域を主として大東亜のみに限定する意味にあらず。
さらに同日、情報局(今日の内閣官房)より戦争呼称について以下のように発表された。
ここにある「支那事変を含め」とは、盧溝橋事件に端を発する支那事変にまで遡って含ませる、というものではない。 昭和十六年十二月八日からの対支那戦を含ませるという意味である。(支那事変は『支那戦争』ではなく、日支双方ともに宣戦布告は行っていなかった)。
今次の対米英戦争及今後情勢の推移に伴い生起することあるべき戦争は支那事変をも含め 大東亜戦争と呼称す。
この呼称が決定する審議段階では、各種の案が候補としてのぼった。 海軍側は 『太平洋戦争』 『対米英戦争』 の案であった。さらには『興亜戦争』というのも候補の一つであった。
海軍の主張は
「今次の戦争は主に対米戦争であり、従って太平洋戦争であり、主戦場たる太平洋で決定的に戦い全戦力を傾注しなければならない。」という従来からの戦争指導上の方針を、戦争名称に端的に表現しようとしたものであった。
結局、大本営・政府連絡会議は、陸軍側の主張する大東亜戦争という戦争名を採用した。
昭和二十年十二月十五日附 GHQ覚書に基づき文部次官は、
「大東亜戦争、八紘一宇 等の用語」について禁止令を通達した。米軍の東京裁判による占領政策の一つである。
GHQからは大東亜戦争に代わる呼称の指示はなく、米側の呼称たる「太平洋戦争」という名称が代わりに普及していった。それは前述の如く、海軍が本来主張していた名称ということも手伝って、徐々に一般化していったのである。
しかし、サンフランシスコ講和条約後は、大東亜戦争という正式呼称が逐次増加している。
旧陸軍関係者の中には次のような説もある。「大東亜戦争という名称には、西欧列強のアジア植民地化に対し、アジアの独立国であり唯一の先進国であった日本が、植民地解放(大東亜共栄圏)の為に戦った という意味が含まれているのである。
戦後誕生の通称名称=太平洋戦争ではなく、
閣議決定の正式名称=大東亜戦争を用いることは、この戦争の目的を理解する上で重要である。」
二 左近允尚敏君の意見
大東亜戦争という呼称は陸軍の主張で決まったと聞いたことがあるが、それはさておくとして小生は、
「われわれは大東亜戦争四年目に兵学校に入った」とは書かずに「われわれが兵学校に入って一年後に太平洋戦争が勃発した」と書く方である。
理由は二つ、
一つは、大東亜戦争は国際的に通用しないこと。欧米の文献はすべて太平洋戦争であり、グレートイーストアジアウォーは皆無である。(「外国なんかどうでもいいのだ」と言われそうであるが)。
もう一つは、日本が連合国と戦った地域、海域をあらわすのにどちらが適当かというと、小生は東アジアより太平洋の方だと思っている。ハワイ、ソロモン、ニューギニア、豪州あたりは、東アジアに「大」を付けたところでカバーできない。
一方、中国は東アジアであって太平洋でないのはたしかである。したがって小生は必要のときは日中戦争を使っている。一九三七年から四五年までに使ってもよいし、四一年十二月からは太平洋戦争に含めてもいい。そのときどきで使い分けている。
小生は「大東亜戦争にしろと言われたら断る」が、「大東亜戦争派に太平洋戦争にしろ」とは言わない。
ニュースは別に学術書ではないのだから、記事の書き手によって太平洋戦争でも、大東亜戦争でもいいのではないかと思う。
三 編集部の見解
インターネットで検索してみた。
「大東亜戦争」で検索したら、三六八〇〇件、
「太平洋戦争」で検索したら二三一〇〇〇件でてきた。
一般的に、閣議決定を重視するひと、元陸軍関係の人は、大東亜戦争派であって、太平洋戦争を使用するのに否定的である。
そして、あの戦争を侵略戦争でないとする人に多いようである。
学校教育においても両者が用いられているようである。
「なにわ会ニュース」は学術書でもないので、無理に捉われる必要はないと考える。
「なにわ会ニュース」編集部としては、どちらにするかでなく、これらの事情をふまえ、寄稿者の意図を尊重して、寄稿者記載のとおりとしていきたい。