歩こう会秋季旅行の記
幸田 正仁
左より 前列 足立之義、深尾、浦本、上野、中井、幸田、 後列 足立、深尾、小松崎、品川、中井各夫人 |
歩こう会は従来春又は秋に一泊旅行を実施していたが、会そのものの行動範囲が次第に狭くなり、観光を主にゆっくりしたいということで、二泊旅行に切り換え実施することになった。
平成十七年十月二十六日から二十八日の三日間である。参加者は上記写真のとおり。
行動の概要、JR
二十六日当日、参加者の面々は駅弁を買い込み、まるで小学生の遠足さながら興奮の面持ちで上野駅常磐線ホームに集まった。特急{スーパーひたち」十九号 一一〇〇発車。途中勿来駅下車、関所跡見学の後、今度は普通列車で湯本駅着、旅館迎えの車で「喜楽苑」に投宿した。
勿来の関跡は地形雄大、黒松生い茂り「勿来の関跡」と彫られた大きい御影石が建ち、丘の尾根沿いの石畳の道及びその両側に時代の文人墨客の歌碑等とその説明板並立し、思ったより見応えがある。道の一番高台の脇には「勿来関文学歴史館」が新設され、入館すると解説のテープが聞かれる。(六十五歳以上無料)また、歴史館の反対側の道を隔てて
さて、宿舎喜楽苑は創業百三十年、敷地約壱萬坪の自然の中に立地し、樹木を残し、本館と宿泊棟を配置、それぞれを廊下で結ぶというゆったりした建物群で特別立派と云うこともないが、自然の中にある木造施設(築十年)が我々を和ませてくれる。温泉は湯本の源泉からパイプを引いた湯と従来から湧出している鉱泉と二様の湯が楽しめる。特に鉱泉の方はよく暖まり前後三回は入った。
夕食懇親会はそれぞれ好きな飲み物を注文し、各自勝手に飲みながら歓談高吟するが、今回は高田君編集の流行歌集も無く、村上女史の参加もなかったので、静かで和気藹々たる中に進行した。
滞在の中日は丁度付近の馬の温泉こと、JRA(日本中央競馬会)の馬の療養施設を見学した。近いので揃って付近の景色を賞で乍ら散歩がてらに行ってみた。
中々立派な施設、従業員三十五名、保養中の馬五十頭という。我々見学中に柵の前まで一頭の競馬馬を連れて来てスタッフが見せてくれた。『この馬は大人しい馬で名前は「タニノゴード」といいます。』といろいろ説明してくれる。負傷する馬の八割が下肢の骨折と腱の断裂だという。人間の湯治はせいぜい数ヶ月だが、長い馬は二ヶ年もいるらしい。発足以来の馬の療養数は延べ二千七百頭。施設は大小数個の馬場を初め、全身が浸るのと上からスプリンターで流しかけるのと二様らしい。立派な厩舎を眺め満足して帰ってきた。
午後は専ら部屋でのトランプ組とバスで付近を観光する組(七名)に分かれ、それぞれの行動をとった。観光組は二時間一万五千円コースを指定、小型バスに乗り、嬉しそうに出発した。観光組は主として海岸方面を回り、沼の内弁財天、塩屋崎灯台(付近に美空ひばり「乱れ髪」記念碑、「喜びも悲しみも幾年月」記念碑等がある。)、三崎公園のいわきマリンタワー、小名浜港のララ・ミユー(観光物産センター)等を回った。夕刻観光組帰着後再び入浴を繰返し、夕食懇親の後、静かに二日目の夜は更けて行った。
第三日目、いよいよ帰る日だ。前庭でよく冗談を言う女中さんにシャッターを押して貰い記念撮影後、旅館の車で北方十粁の願成寺白水阿弥陀堂(国宝)を見学。この堂は約八百五十年前藤原清衡の娘徳姫が夫岩城国守岩城則道公没後その菩提を弔うため創建されたもの、堂の両側には池を挟んで広大な浄土庭園があり、横浜金沢文庫にある称名寺の庭園に酷似している。
何れも浄土を摸したものである。その建物の結構と付近の山を借景とした庭園を散策後、内郷駅へ出た。旅館の車と別れ、あといわき駅にて昼食の後、郡山駅経由新幹線「なすの」二五〇号にて一路上野駅へ。流れ解散となり二泊三日の旅を終了した。
思えば嘗ては丹沢周辺の山々を制覇し、三浦半島海岸線百二十粁を踏破した歩こう会の猛者も齢八十歳を過ぎれば歩くよりゆっくり観光が主となるのもまたやむを得ない次第。
旅館の感じが良かったので、あそこならもう一度行ってもいいなあといふ声も聞かれるのは計画者としても嬉しい。
○ 勿来てふ 古き関所の 跡訪ね
○ 勿来とは 誰が言いてけん 赤松の
○ 大人しき馬ですよと いいて若きスタフ
○ 名前は「タニノゴード」ですと
(平成十七年十二月)