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94号

 平成十七年度なにわ会年末クラス会記

向井寿三郎

十八年度幹事の諸君  左から 松下、後藤俊夫、都竹、相澤、金枝、神林

今年の年末クラス会は、十一月二十九日一二〇〇から恒例にならってグランドヒル市ヶ谷で開催された。野崎幹事の司会のもと、例のごとく年度幹事代表の挨拶、病没した期友への黙祷、来年度新幹事の紹介があり、池田武邦君の音頭で乾杯して打ち方始め、ついで、伊藤ニュース編集長の「なにわ会HPについて」の現状報告があった。宴果てる直前、経・機・兵三校の出席者全員によって、それぞれの校歌を斉唱、定刻一四〇〇滞りなく閉会した。以下、目ぼしいことを幾つか紹介して記録係の責を果たすことにする。 

相澤年度幹事挨拶(要点)

その1 ニュースへの寄稿

年度幹事の集まりで「ニュースの寄稿記事は戦没・物故期友の追悼ないし思い出の記事、寄稿者本人の直接体験したことに関する記事、各種クラス会の報告を優先し、これに編集長が適当と認めた寄稿記事を加えて誌面を作る。」という方針にしたのでよろしくご了承ありたい。 

その2  物故者

今年中に物故した期友を紹介し、冥福を祈って一分間の黙祷を捧げた。

物故者名 吉江幹之助、浅野良幸、藤井武弘、三笠清治、吉峰 徹の五君。

年度幹事の集まりの席では、今年は訃報が少ない。幹事の行いがいいからだ、と冗談口を叩きながら喜んでいたが、十一月に入ってから続けて三君が亡くなった。 

来年度幹事の紹介

兵― 都竹 卓郎(代表) 後藤 俊夫、松下 太郎、 相澤善三郎(留任)

機― 金枝 健三                経― 神林  勗

「なにわ会HPについて」五十四頁を参照

乾杯 例年最も遠方から、参加した人に音頭をとってもらっており、今年は長崎に住んでいる池田武邦君にお願いした。


 出席者

今年度の出席者は八十五名(兵六十五名、機十名、経十名、うちご夫人九名)である。

 昨年に続き、今年も教官のご出席は頂けなかった。お年を思えば致し方ないこととはいえ寂しいことである。しかし、この三年を見ると、出席者は年々増える傾向にある。ことに同伴者が増えたことは嬉しい。お互いの健康状態を考えれば自然なことで、また、いろいろな面で歓迎すべきことであろう。

 アルコールがまわってきて、声が高くなり席も乱れる頃になると、誰もが歳を忘れて二十歳そこそこの青年の顔になる。が、一歩会場を出ると、また、八十過ぎの爺(じじい)の顔に戻る。十数年前までは、二次会、三次会へと流れる群れもあったが、今はおとなしく家路につく。しかし、その表情には、おだやかな中にも何かをなし終えた者の持つ自信のようなものが見てとれた。


17年度年末クラス会参加者85名(兵65名、機10名、経10名内夫人9名)

(兵) (機)
相澤善三郎 後藤 俊夫 宝納 徳一 上田  敦
旭  輝雄 小灘 利春 松下 太郎 片山  勇
足立 英夫 (妻)郁子 間中 十二 金枝 健三
足立 之義 小林  勝 溝井  清 藏元 正浩
(妻)玲子 左近允尚敏 向井寿三郎 佐丸 幹男
安藤 昌彦 佐藤  静   森園 良巳 野崎 貞雄
池田 武邦 柴田 英夫 矢田 次夫 三澤  禎
泉  五郎 定塚  脩 山下 茂幸 村山  隆
(妻)才子 新庄  浩 山田  穣 (妻) 玲子
市瀬 文人 高松 道雄 山田  良 室井  正
(妻)あい子 多胡 光雄 山田 良彦
伊藤 正敬 辻岡 洋夫 横田 敏之 (経)
上野 三郎 都竹 卓郎 若松 禄郎 足立 暢也
浦本  生 東條 重道 和田 恭三 阿部 克巳
大谷 友之 (妻)治子 神林  勗
岡本 俊章 豊廣  稔 (会友) 高杉 敏夫
門松 安彦 中井 末一 岩松 重裕 高田 俊彦
岸本 一郎 中川 好成 後藤  寛 富田 岩芳
草野 家康 名村 英俊 藤瀬 韶国 深尾 秀文
(妻)弘恵 原田 種睦 (ご遺族) 槇原 秀夫
幸田 正仁 樋口  直 小松崎トキ 吉江 正信
畊野 篤郎 平川  進 篠田 伊都
後藤英一郎 平野 律朗 安藤 和子