93号
平成十七年度中京なにわ会
杉田 政一
後列左より 左近允尚敏 前列左より 安井夫人 |
昨平成十六年度は大野君が幹事で、養老で行われたが、その時来年は愛知県で万博が開催され、中部国際空港も開港するので知多半島で小生が幹事となつて実施する旨表明してあつたので、年初から準備に入った。なにわ会というものの、機、経は居らず、兵のみの会である。当初出席予定者は十名であつたが、直前になつて同伴一組、単身一名の取り消しがあつたので参加者は、大槻夫妻、安井夫妻、左近允尚敏、村瀬信義、杉田政一の七名となった。
五月十八 一三一五 中部国際空港(セントレア)アクセスプラザ集合。
行動の概要
十八日一四三〇まで約一時間空港見学。一四三〇、ホテルの迎えのマイクロバスにて野間大坊(義朝憤死の地)参詣、ホテルに向かう。一六〇〇、ホテル着、入浴。一八〇〇〜二〇〇〇、宴会。
宿泊・・・・知多郡美浜町 海炎温泉ホテル小野浦
(このホテルは私の友人である竹内鉄工所社長竹内初治君の娘さんが若女将として活躍している)。
(1)空港見学には私の娘がセントレアのボランテアガイドをしているので、進んで案内役を買ってくれた。
(2)野間大坊においては、住職の話によると源義朝(頼朝、義経の父)が京都六波羅の合戦で平家に敗れ、この野間の地に落ちのびてきた。ここで家臣の長田忠致、景致父子により入浴中に謀殺され、「我に小太刀一本ありせば、むざむざ討たれはせん。」という義朝公の無念を思い、木太刀が奉納されている刀塚がある。長田父子は平家の恩賞を願って事を起こしたが、平家は人の道にもとる行為としてこれを退けたという。また、義朝公の首を洗った血の池は国家に一大事があると池の水が赤くなると言い伝えられている。
(3)宴席に於いて左近允君より貴重な話があつた。
@ 教育参考館のネルソン提督の遺髪について。
A 伊166号潜水艦機関長鶴亀鶴一中尉、昭和十六年十二月よりインド洋作戦において商船六隻、潜水艦一隻撃沈。昭和十九年七月十七日敵潜水艦の雷撃によりペナン沖に於いて沈没した。
(4)宴席においては村瀬君の日本舞踊と安井夫妻のカラオケ、杉田の詩吟があり会は盛り上がった。
五月十九日〇八四〇 ホテル発。
杉本美術館において杉本健吉画伯の作品を鑑賞、一同感銘をうけた後、魚太郎(海鮮みやげ)、えびせんべいの里を経て常滑市内、忠幸(うなぎ店)別室に於いて昼食歓談。一四〇〇頃名鉄電車常滑駅に戻り解散した。