88号
平成十四年なにわ会年末クラス会記
溝井 清
平成十四年十一月二十八日恒例により『なにわ会』年末懇親会がグランドヒル市ヶ谷において開催された。出席者は
柳田益雄教官(海兵六五期)はじめ海兵五十七名、海機十二名、海経八名、会友三名及びご夫人四名の総計八十四名と前年に比し、やや少数ではあったが、大方の期友は今や八十路の坂に差し掛かっているものの、さすがに鍛えに鍛えた海の男達、皆凜として一堂に会した。中西健造、加藤種男それぞれ夫妻、杉田政一、旭 輝雄の両氏は遠路はるばるからの参加であった。
定刻、三澤 禎幹事の司会により開会が告げられ、まず、本年一月以降、鬼簿に入られた七名の名を挙げ、あわせて戦死者、戦後物故者の冥福を祈り、しばし黙祷を捧げた。
続いて、代表幹事の挨拶に移り、日く
「当日はたまたま米国の感謝祭(十一月第四木曜日)に因み、全く意味するところは異なるが、特別な感謝の念を抱いてこの会場に臨んでいる旨、即ち、かつての海軍将校生徒に与えられた帝国海軍伝統の訓育、そして情熱を注いで我々の直接指導に当たられた柳田教官はじめ多くの諸先輩に対する心からなる感謝、また、特に『五省』の教えなどは、正しく我が人生を育(はぐく)み、今なおこれに支えられて毎日を過ごしていることに対する感謝の念」を披涯して降壇した。
次に請われて登壇された柳田益雄教官は、我等入校時の分隊監事の若々しい英姿を髣髴させ、しかも矍鑠(かくしゃく)として、毎年「なにわ会」の会合に招かれて、昔の教え子に会える喜びを述べられ、また、かかる激戦と戦後の苦難を生き抜いて、幸い今日ある諸子は健康に最大限留意して、残る人生を有意義に過ごすようにとの趣旨のお話があった。
ついで、三澤幹事から『なにわ会』の次期幹事の紹介があり、その代表に擬せられている豊廣 稔君から簡単な挨拶があった。次期幹事の顔ぶれは次のとおり、いずれも期友間に名立たる人物である。
(兵)豊廣 稔、平川 進、 溝井 清 (機)佐丸幹男 (経)深尾秀文
続いて柳田教官のご発声で乾杯、「酒保開けJとなり、懐旧の情、和気藹々(あいあい)
会話は一層声高となり(やや難聴の輩が増えたためか)賑やかな宴は甘酣となり、時の経つのも知らず、名残は尽きなかったが、頃合を見て軍歌斉唱を行うこととし、歌唱力抜群(健筆、健脚も)の幸田正仁幹事のリードで軍歌、同期の桜等を斉唱した後、代表幹事より、多少早過ぎるが、よい新年を迎え、来る年も、そのまた次の年も命ある限り靖国神社で会おう、年末にはここで会おうとの発言を最後に散会し、それぞれ家路についた。
当日の参会者は次のとおり。(敬称略)
(教官) 柳田 益牲
(兵)
安藤昌彦、足立英夫、足立喜次、阿久根正、相澤善三郎、旭 輝雄、伊藤正敬、泉 五郎、市瀬文人、岩本 修、上野三郎、浦本 生、大谷友之、岡本俊章、長村正次郎、門松安彦、小林貞彦、小林 勝、後藤英一郎、後藤 脩、後藤 俊夫、幸田正仁、畊野篤郎、左近允尚敏、佐藤 静、澤本倫生、柴田英夫、渋谷 了、定塚 脩、新庄 浩、杉田政一、鈴木 脩、多胡 光雄、都竹卓郎、辻岡洋夫、東條重道、豊廣 稔、名村英俊、中川好成、中川浪子、中西健遣、中西英子、中村正人、中山 皎、林 藤太、樋口 直、平川 進、平野律朗、宝納徳一、堀剣二郎、間中十二、松下太郎、溝井 清、向井寿三郎、矢田次夫、山下茂幸、山田 穣、山田良彦、若松 禄郎
(機)
安藤 満、加藤種男、加藤弘子、片山 勇、金枝健三、藏元正浩、佐丸幹男、斎藤義衛、野崎貞雄、三澤 禎 韻、村山 隆、村山玲子、室井 正、 山下武男
(経)
神林 勗、亀谷敏明、窪添籠輝、高杉敏夫、高田俊彦、高柳行雄、深尾秀文、槇原秀夫
(会友)
岩松重裕、後藤 寛、藤瀬韶国