第八回戦闘機搭乗員会
大村 哲哉
四月二日〜三日、戦闘機搭乗員会が雄大なパールブリッジ(明石大橋)を一望にし、有栖川宮別邸の面影を残す舞子ビラで開催された。
幹事は石井 晃、平成十年土浦で行われた第五回搭乗員会で、戦中霞月棲の女将に海軍一の歌だとほめられたと話しただけに、案内文も
「戦闘機離陸は神ノ池の基地よ
泣いてくれるはあの娘一人よ
あきらめしゃんせよわしゃ戦闘機乗りよ
どこのみそらで 何時果てるや−ら」
と歌詞入りの泣かせる案内
出席者は次のとおり.(敬称略)
相澤善三郎、阿久根正、飯野伴七、石井晃、市瀬文人(水上機操)宇野俊夫(水上機偵)、大村哲哉、中西健造、林 藤太、松山 實、村瀬信義、森園良巳、山田一夫(三郎兄)、粕谷 衛(仁司弟)、河野恵美子(俊通夫人)、品川蓉子(弘夫人)、杉本悔子(広安天人)、
恒川晴江(愛二郎天人)、中西英子(健道夫人)
以上+九名
また、零戦搭乗員会会長の六十九期岩下邦雄様も参加して下さる予定であったが、急に「特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会」の副会長になられ、慰霊祭が四月三日に行われるため出席していただけないことになった.(飯野も出稀のため三日早朝出発)山田一夫様、柏谷衛様の毎回ご参加下さることには、ただただ頭がさがるのみ。また、石井幹事の名案内文のためもあろうか、ご夫人が五名参加して下さった.特に杉本夫人は「本人生存中参加していなかった・・」ということで大変うれしいお言葉であった。今回の会にこりず、今後も天人方の参加をお願いしたい。
二日十八時からの懇親会は、これも石井幹事ならではのことで、孫のようなコンパニオン嬢二名も加わる.(クラスの呆け防止のための石井の深慮か?)例によって村瀬の舞踊に始まる宴席となった.先に「よる年波には・・・」と書いたが、お酒が入れば怪気炎。
来年は村瀬幹事、岐阜の鵜飼いと決定。
二次会のカラオケルームヘ.のど自慢を発揮する者、ご夫人方のコーラスもあり、楽しい夜を過ごした。
翌三日は阪神淡路大震災の跡を訪ねて、北淡町震災記念公園へ。舞子ビラから指呼の間にある明石大橋を渡るとなると、橋にたどり着くのに三十分もかかるのには驚かされた。
公園の野島断層保存館では断層による道路、生垣、畑のあぜの破壊状況が見られ、今更のように自然の脅或に感じ入った。
再び大橋を渡り、橋の科学館へ。ここでは速い潮流、深い水深、強固でない支持地盤、加えるに多くの船舶が航行する海上の要衝という悪条件を克服しての難工事をパネル、模型や実物模型、最新映像で知ることが出来る。
震災記念公園では自然の脅威に人のおごりを戒められ、ここでは逆に世界一の吊橋を完成した人知の素晴らしさに頭をさげる。自然と科学の調和が永遠の課題か。
最後は科学館に近いネプチユーンで昼食。十四時三十分頃来年の岐阜での再会を約して解散。