平成11年なにわ会年末クラス会記
上野 三郎
年末クラス会は当初、昨年同様品川パシフィックホテルにて開催の予定で既に予約をしていたが、靖国神社参拝クラス会の反省を兼ねての六月二十八日の幹事会にて年末クラス会のあり方を討議した結果、諸般の状況を考慮し、多少の問題があっても、品川パシフィックホテルをキャンセルし適当な所を探す事にした。その後九月二十四日の幹事会にて十二月十日水交会にて実施することに決定した。
水交会で実施するに当たっての打ち合わせ幹事会を十月十九日に開催し、式次第、受付、幹事の役割分担等を決めた。又水交会側とも打ち合わせを行ない、会場のレイアウトを現場にて工夫し、案内状には立食形式としていたものを、無理をして、椅子席に変更する等、ホテルで実施するときには考えられぬ苦労もあった。
年末クラス会当日は教官として柳田教官、会友として藤瀬韶国君、そして紅一点の村山玲子様(隆君夫人)を含め九十三人の出席を得て一二〇〇より開会した。
会の司会、進行は、山下幹事により行なわれ、先ず開会で、本日参集された諸兄は、あの苛烈な太平洋戦争を生き抜き、戦後は祖国再建に尽力し、なお、元気で記念すべきミレニアム二〇〇〇年という年を迎えるわけで、実に幸運と云うべきである。本日はその幸運に感謝しながら、時間の許す限り大いに愉快に歓談して欲しい、旨の挨拶があった。
続いて戦没の英霊並びに戦後物故者に対する黙祷を捧げた。森園代表幹事より、幹事になると毎月靖国神社よりPR紙『靖国』が送られて来る。その中で最近目立つのは、いろいろの団体が、その戦没者の『永代祭祀』の手続きを行なっている事であり、この件について、或る海軍の会合で、我々の後輩のクラスの人と話をしたことがあるが、その際、この後輩曰く
『なにわ』会は未だ二百数十名の生存者がいるのだから、未だ『永代祭祀』は早すぎるのではないでしょぅか、と云う話があった。さて来年二〇〇〇年は、我々が学校に入学してから六十年日の記念すべき節目の年に当たるのでお互い元気で頑張ろう、と挨拶した。
柳田教官よりはこうした会合に出席出来るのは嬉しいことである。皆様との間が細々ながらでも繋がっているのはレアーケースで此の因縁を大事にしたいと思う。お互いに長くない人生であるから、元気で楽しく暮らしていこう。といつもながらの若々しい姿での歯切れのいい御挨拶を頂いた。
次に会員報告に移り、先ず山根真樹生君より桂理平君の著書『空母瑞鳳の生涯』に関して、此の著書は桂君が先の『我が海戦記』に続いて、大病を患いながらも戦闘詳報を詳細に調査し、諸先輩より得た資料、自分の体験を見事に纏め上げた貴重な作品である。瑞鳳を心から愛する桂君にして成し得た偉業である。自分も孫達が二十歳になれば読むようにと孫の分迄買い求めている、と紹介があった。又瑞鳳の縁で横須賀米海軍よりミスターネービーと尊敬されてきた増岡さん(故人)の奥さんの紹介で、最近キティーホークに招待された時の体験航海を通じ米海軍の実力と士気の高さに驚嘆したと、付言があった。続いて矢田 次夫君より前立腺肥大の治療として、本人の受けた温熱療法が従来の開腹手術に比し簡単(日帰り治療)で身体への負担もなく注目すべき治療法であると、各人に資料(なにわ会ニュース82号21頁に掲載)を配布しての紹介があった。
以上で会員報告が終了し、次年度幹事の紹介と新幹事よりの力強い就任の弁があった。
新幹事は次の諸兄である。
(兵)新庄浩、辻岡洋夫、森園良巳(留)、(機)藏元正治、(経)亀谷敏明
これにて固い行事を終了し、柳田教官の乾杯の音頭に続いて懇親会に移った。宴の進むにつれ、お互いの声も大きくなり、久しぶりの再会を懐かしみ、各々席を変えての歓談の光景が随所にみられ、和気藹々の内に楽しい時間が過ぎていった。宴のひとくぎりしたところで、後藤俊夫君の歌い出しで『同期の桜』を声高らかに斉唱し、最後に司会の山下幹事が閉会の辞と来年度の靖國神社参拝クラス会は六月五日の予定であることを告げ、予定通り1500に会を閉じ、明年の再会を期し家路についた。
盛会裡に無事閉会出来た事は参加の皆様方の御協力のお陰と幹事一同御礼をもうしあげると共に、会場がいささか狭いレイアウトになった等、色々不行き届きの点の有った事をお詫びいたします。
年末クラス会出席者名簿 掲載略