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平成11年参拝クラス会記

上野 三郎

 113日に幹事の引き継ぎを受けて以来、第1回の幹事会を一月二十二日に持ち、合わせて四回の打ち合わせを開催、参拝クラス会に備えた。前年の代表幹事原田君が引き続き幹事として留任してくれたこともあり、森園代表幹事をリーダーとして原田、山下、阿部、上野の五名で比較的順調になんとか準備が進められた。

 六月三日の当日は、入梅の予報があったものの、英霊の加護か、雨の心配もなく、爽やかな参拝日和となった。受付は、前年度幹事、次年度幹事予定者、近住者等諸兄の応援を得て、九時三十分より開始にて進めていたが、九時頃より三々五々参集あり、大した混乱もなく順調だった。

 本年度の参拝者数は、ご遺族九十四名、教官、生存者及び同伴者百二十七名、合計二百二十一名となった。(昨年に比しご遺族で十二名増、生存者で六名減、合計で六名増)

 昇段に先立ち、参集所にて森園代表幹事より挨拶、連絡事項の伝達があり、定刻十時に昇段。修抜、黙祷、祝詞奏上に続き、代表者山下幹事より祭文を奏上、玉串はご遺族代表山根澄子様(故高崎孝一令姉)、山田一夫様(故山田三郎君令兄)、本田道夫様(故本田武夫君令弟)、岩佐温生様(故岩佐肇君令妹)、及び生存者代表森園良巳幹事が奉奠、一同揃って拍手拝礼を行い、御霊の安らかに神鎮まりますことをお祈り申し上げた。撤せんの後、退下、昇段参拝の儀は厳粛のうちに滞りなく採り行われた。

 今回が1900年代最後の参拝となる。戦後半世紀も過ぎると、世情の変化は想像を絶するものがあり、戦争中、祖国、同胞の安泰を願い、自分を犠牲にされた英霊に対しての崇敬の念が失われようとしている事は誠に残念である。世紀が代わろうとも次世代に御魂への奉祀の燈を消さないよう伝え行く事の重要さを改めて思いなおした。

 昇段参拝後ホテル・グランドパレスに移動し、十一時三十分より山下幹事司会のもとに懇親会に移った。森園代表幹事の開会挨拶の後、柳田教官の『還暦を過ぎると、毎年一歳ずつ若くなるものだ、従って自分は今三十七歳である、生きている限り、自分の周りを明るくし、自分の立場でやるべき事を積極的にこなして行く事が大事である・・・・』と、何時もながらの若々しい歯切れのいいお言葉を頂いた。続いて御遺族を代表して井尻民雄様(故井尻文彦君令弟)より『生前母より参拝なにわ会の時には文彦分として1万円を会費として差し出し、出席するように、と言われてきました。母は最後まで文彦が戦死したと言う意識はなく、なにわ会に出席し皆様と話をしていると文彦が生きているように感じるといっていました。私も又同じ感じをもっています・・・・』と、御遺族の参拝クラス会への想いの今に至るも尚一入なものがあることを感じとった。再び教官の音頭で乾杯をし、懇談に入った。御遺族を囲んでの話が弾み宴も酣になった処で、西川流村瀬信義君の『西川三番鈴の舞』の日本舞踊が披露され、鮮やかな舞いに感銘をうけた。最後に後藤俊夫君のリードにより『同期の桜』を合唱、萬歳三唱の後、来年の再会を期して午後二時三十分閉会散会した。盛会の中に無事閉会出来たことは参加の皆様方の御協力のお陰と幹事一同御礼申しあげると共に、色々不行き届きの点のありました事をお詫び申し上げます。

(追加)阿部幹事より参加会費を郵便振替に変更すべく検討中との報告、及びその他の諸兄より色々の連絡事項のあった事を付記する。

参拝昇殿者  (掲載 略)