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年末クラス会記

槇原 秀夫

 なにわ会年末クラス会は十二月四日天候にも恵まれ、教官、会友を含み、百二名の出席を得て品川のホテル、パシフィック東京で行われた。九年二月三日本年度幹事総員と樋口、名村、押本、村山(機)の従来会の運営に深くかわった諸兄と拡大幹事会開き、その意を集約、当年度の幹事の責任において、時間はウイークディの昼間、場所は交通の便のよい品川近辺、会費は、参拝クラス会では積立金から一部を支出したが、今回は生存者のみの会合でもあるので出席者で負担することとした。

 会に先立ち、十二月一日次期幹事の出席も得て、最後の幹事の打合せを実施し、式次第のうち、かたい部分と懇親の部門を別々の部屋とし、また、着席は指定せず自由とすること等、最後の詰めをした。

 当日は、「漣の間」で椅子に着席し、北村幹事入院のため引継いだ村山幹事の司会により、定刻開会、最初に本年亡くなられた六名を含め、戦没並びに戦後物故者に対して黙祷を捧げた。次いで池田幹事から、今年度から参拝クラス会及び年末クラス会の時間(ウイークディ・昼間)場所(グランドヒル市ヶ谷)九段会館からホテルへの変更)、及び会費(特に額立金充当)等の経緯及び生存されている戦没御母堂へ暑中見舞い品を生存者が訪問してお届けしたことを含め、本年の経過報告とあいさつを述べた。

 教官としては、今回ただ一人丈ご出席の柳田教官から恒例の教官訓示を頂いた。

 さらに京都法然院で行なわれた関西なにわ会の慰霊祭及び引き続き行なわれたみやこホテルでの懇親会の模様(4貫、別稀)を参列した樋口君から、眼を悪くし行動もままならぬ

後藤 脩君から「無差別殺傷を断罪する」といぅパンフレット、「市民連盟結成の呼び掛け」(14頁別掲)が、さらに飯野君から第一御盾隊(隊長大村謙次君)のビデオの紹介があ

り、最後に村山幹事から、陸軍出身某氏の海軍を誹誘するサンケイ新聞の記事とこれに反論する左近允君の意見についての披露があった。以上で連絡報告事項を終了し、次年度幹 事の紹介と力強い幹事就任の弁があった。

 新幹事は次の諸兄である。

 (兵)原田種睦 山下茂幸 藤田 昇(留任)

 (撥)金枝健三

 (経)吉江正信

 このあと、本年十月逝去された篠田知武君が生前愛していた自作の「江田島を讃う」(9頁、別稿)という詩吟を、狛江から出席された御息女桐本香里さんが心をこめて吟ぜられ、一同改めて感慨を新たにしたことであった。ついで、村山幹事から、御出席になった伊藤夫人、富士夫人、村山夫人、山根夫人を御紹介申し上げた。

 これで固い式をすべて終了し、席を「自珠の間」に移し、小林幹事の乾杯の音頭で懇談に移った。あきら久し振りに会うせいか、耳が若干遠くなったせいもあって、会場われんばかりに和気藹々のうちに時が推移した。酒量は若干落ちたようだが、食欲はきわめて旺盛、用意した料理はまたたく間になくなり、幹事は大慌てで、そば、焼飯を追加した一幕もあり、元気はつらつとしたものであった。
 (もっとも料理は諸般の配慮で八十人前ではあったが。)

 やがて時間も経過したので、藤田幹事を軍歌係として声高らかに「軍艦」を斉唱した。

名残りは尽きないが最後に、槇原の音頭で万歳を三唱、閉会の辞を述べて、明年の再会を期し家路についた。

 なお、田中春男夫人良子様が年会費を届けに会場に来られ久闊を叙され(会合には出席されず)、参拝クラス会で、靖國神社において琵琶を奏上して頂いた七十七期の森園安男氏が出席、寄付を頂いたことを附記しておく。

(年末クラス会出席者名簿) 掲載 略