平成八年なにわ会年末クラス会記
中西 健造
なにわ会年末クラス会は十二月四日晴天に恵まれグランドヒル市ヶ谷で開催された。会に先立ち十一月二十九日に幹事が集まり最終打ち合せ、中川幹事作成の名簿により、出席者のチェックを行い一〇五名出席という数字に一同大いに喜んだ。前幹事の安藤 満君にも種々協力して貰った。会館側でも百余名の席を造るため、中央前のスデージを小さくして漸く席の配置をする等、大変協力的で準備万端整え四日を迎える事が出来た。
前幹事の安藤 満君にも種々協力して貰った。会館側でも百余名の席を造るため、中央前のスデージを小さくして漸く席の配置をする等、大変協力的で準備万端整え四日を迎える事が出来た。
当日は来年度事の応援も得て会員の来場を待った。定刻三十分位前から、続々と来場、受付も多忙を極めた。受付及び会費徴収は深尾君が手慣れた事務処理でよく取り纏めて呉れた。体調その他の都合により欠席者の連絡があったが、総計九十九名となり、近来にない多数の出席者となった。
定刻となり斎藤幹事の司会により開会、最初に戦没者並びに戦後物故者に対して一分間の黙祷を捧げた。中川幹事が手術後のことでもあり出席出来ず、浦本幹事が挨拶を行った。柳田教官のご出席を戴き、また会員多数の出席を得て幹事一同大変嬉しい事、石隈教官外数名の方が直前になって出られなくなったが、期友の三分の一に当たる百名の出席は三年振りで、非常に喜ばしいこと歓迎の辞を述べ、また諸兄の返信によると、皆それぞれに趣味、旅行、交友、スポーツ等を通じて体力の維持に努力されていりようで、この立派な期会を何時までも続けられるようお互いに努力しよう。今宵は地方在住者で体調不良のため出席できなかった期友の分まで充分に楽しんで有意義な期界にして下さいと結んだ。次いで本年度なにわ会関係者の訃報の知らせ、右近恒二君より北海道旅行の連絡事項があった。柳田教官は健康上の理由から、夜間の会合には出席を避けて居られるそうだが、今夕は無理して出席して下さった。
教官訓示として、何時かは直面しなければならない死と云うことを忘れてはならないと、エジプトや帝政ロシアの仕来たりを引き合いに話された。戦争で生き残った人は残った世を、如何に生きるか、無為に過す勿れと。今でなければやれない事を、後で後悔しない様にと、厳しくも有る難いお話を伺った。引き続き平成九年度の幹事が紹介され次の諸兄が就任した。
兵 池田武邦、小林 勝、藤田 昇
機 北村卓也
経 槇原秀夫
ここで乾杯となるが、北海道より遠路初参加の右近恒二君の音頭で盃を挙げ、懇談に移った。何時もの様に盃を交して賑やかな談笑が始まり、盃を片手に席を廻り旧交を温める人、忘年会らしい雰囲気につつまれた。宴酣の中伊藤孝一が壇上に上り、医師の立場から現代の医学について、貴重な意見陳述があった。間違った記事にならない様、伊藤兄にお願いして、当日の話を要約して貰ったので熟読して下さい(別掲8ページ)。矢田次夫君から小松崎正道君の病状について、経過は良いとの報告があった。又十二月四日がたまたま誕生日の山田艮彦君が指名されて、挨拶する一幕もあった。宴はまだまだ盛り上っていったが、そろそろ軍歌に移るべしと、斎藤幹事は軍歌係に後藤俊夫君を指名し、同君の美声で軍艦マーチを斉唱した。名残りは尽きないが斉藤幹事が閉会の辞を述べ、明年の慰霊祭は六月四日午前十時昇殿参拝を連絡し、お開きとなった。酒量が稍落ちた感じがしないでもなかったが、久し振りの歓談に皆楽しそぅだった。来年も元気でお会い出来ること念じている。
年末クラス会出席者名簿 掲載略