平成八年参拝クラス会記
齋藤 義衛
平成八年度幹事は中川幹事以下、前年度に引き続き担当の中西幹事と浦本・深尾・斎藤の五名で一月早々に前年度幹事と引き継ぎの会合を持ち、以後六月二日の参拝クラス会に
照準を合わせ、中川幹事宅或は九段会館にて五回の幹事会を開催。さながらガンルームの雰囲気。その間幹事交替で水交会の月例参拝に出席する。小生は新年の参拝に出席したがが、各クラス代表の小人数参拝であり、参拝クラス会とは又格別の趣で社殿にぬかずき、幹事担当のこの年を心新たに踏み出す事が出来た次第。
五月三十日の最終の幹事会には前年度幹事の安藤君も出席格段の協力を頂く。
六月二日。最近の気象異変の中で一番案じていた天気も、すがすがしい夜明けで申し分ない参拝日和とも言うべく、大安心。例年のマニュアル通り、午前八時半前年幹事諸兄の応
援を得て受付準備を整える。爽快な陽気のせいかご遺族・級友の参集は思いなしか例年より早く感ぜられる。そして挨拶と談笑が緑の樹下に溢れる。
定刻十時昇殿参拝。例年の通り、神饌の儀、祝詞奏上に続き、代表者浦本幹事より祭文奏上、続いてご遺族代表飯島厚様(故飯島晃兄上)・嶋野久雄様(故鴫野辰雄兄上)・田中教
官・級友代表浦本幹事が玉串奉奠、一同黙祷を捧げ、英霊の御霊の安からんことを祈念申し上げ、昇殿参拝慰霊の儀を滞りなく終了した。昨年の戦後五十年この方一年、世は阪神
大震災・地下鉄サリン事件・住専問題と混沌の極みを英霊はいかに照覧されるやと思いを馳せると慙愧に堪えない心情である。
十一時三十分より九段会館に於いて斉藤幹事の司会により懇親会に移る。今回の昇殿参拝者は二五七名にて昨年より二名増の変わらぬ盛会であるが、内訳は生存者七名減、ご遺族九名増という次第で時の推移を考えさせられるものがある。式次第は昨年と同様中川幹事の開会挨拶にはじまり、遺族代表挨拶には飯島厚様(故飯島晃兄上)が立たれ、慰霊祭開催の謝辞につづいて造船官としての感銘深い海軍の思い出を語っていただく。教官挨拶は石隈教官に、乾杯は柳田教官にお願いするも、お二万共我々に勝るお元気にてご遺族及び会員に力強いお言葉を戴き懇親会に入る。
クラス会伝達事項としては、右近恒二君より来年実施のなにわ会北海道旅行の件及び向井寿三郎君より過日夫人を亡くされた辻岡洋夫君の近況と失意の同君に対する激励要請の二件。ご遺族のご両親はお年を召され、ご出席も寂しくなったが、その名代のごとくご遺族の兄弟そしてそのご子息の顔触れとなり心暖まる話が各所に咲いていた。
軍歌合唱は昨年と同じく中山 皎君の指導により「なにわ会同期の桜」を声高らかに合唱、中西幹事の万歳三唱の後、締めのご挨拶を長期にわたるご不調を恢復された田中教官にお願いし、健康で来年の靖國での再会(六月一日十一時昇殿参拝)を約して名残尽きせぬ懇親会を終了した。なお、故福島 弘君夫人晃子様から故人生前の御礼と、令息と共に故人の事業を継ぐ旨の挨拶があった。
祭 文
浦本 生
謹んで海軍兵学校第七十二期、海軍機関学校第五十三期、海軍経理学校第三十三期の靖國に在します英霊に申しあげます。
本日、新緑の靖國の社頭に、御遺族とともに、教官及び生存者一同相集い、在りし日の諸兄を偲び、心静かに諸兄の御霊と語り合う日を迎えました。
昭和十五年十二月それぞれの学校に入校し、誇り高き海軍生徒となりました。二年十ケ月の間、共に勉学・訓練に励み、心を磨き体を鍛えて参りました。また上級生の叱咤にも耐
え、あるときは歯を食い縛り、あるときは笑いながら、共に過ごした諸兄の面影は、いつまで経っても我々の心から消え去るものではありません。
昭和十八年九月、すでに太平洋戦争は不利に傾きつつあるとき、それぞれ海へ空へと勇躍第一線へ赴きました。十一月宮中で天皇陛下の御拝謁を賜わり、尽忠報国の念を更に強くし、それぞれの配置で若き血潮を燃え立たせ勇戦奮闘しました。また数多くの友が身を惜しむことなく進んで特攻攻撃に参加しました。然しながら我々の願いも空しく、やがて終戦となり、この間、期友の半数以上が国のために身を捧げられたのであります。人生五十年と云われた当時、その半ばにすら届かぬ若き前途ある諸兄の散華は、痛恨の極みであります。ましてや御遺族の御心情察するに余りあるものがあります。
戦後、わが国民は幾多の困難を見事に克服し、今や世界の経済大国となりました。これも諸兄の貴い生命の礎があって、はじめて達成されたものであります。
一方、豊かさに慣れ経済面が必要以上に重視されがちとなり、かつての我が国の誇るべき精神が失われつつあるのは誠に残念であり、諸兄に対しても申し訳ない限りであります。先の大戦の意義、将来の国家の安泰についても、確たる政治の主導が無く、軍事を除外しても安易に平和は得られるものとの皮相の言動が目立つ時代が続いています。世界の一国
として、国連への経済面の協力は米国に次ぎ第二位でありながら、他の面では誠に恥ずかしいものがあると云えます。東西間の冷戦は終結したとはいえ、地域紛争は世界の各地に頻発しています。最近になり漸く我が国も極東の一国から世界の一国へとの動きも見られるようになりました。日米安保の見直しについても議論され、我が国の緊急事態対処についても、世界を視野においた検討がなされる気運も感ぜられます。この際、確たる政治理念のもと、早急に国家の安泰を確保することこそ我々の願うところであり、諸兄の御遺志にも報ゆるものと信じます。