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祭   文

浦本 生

 謹んで海軍兵学校第七十二期、海軍機関学校第五十三期、海軍経理学校第三十三期の靖國に在します英霊に申しあげます。

 本日、新緑の靖國の社頭に、御遺族とともに、教官及び生存者一同相集い、在りし日の諸兄を偲び、心静かに諸兄の御霊と語り合う日を迎えました。

 昭和十五年十二月それぞれの学校に入校し、誇り高き海軍生徒となりました。二年十ケ月の間、共に勉学・訓練に励み、心を磨き体を鍛えて参りました。また上級生の叱咤にも耐

え、あるときは歯を食い縛り、あるときは笑いながら、共に過ごした諸兄の面影は、いつまで経っても我々の心から消え去るものではありません。

 昭和十八年九月、すでに太平洋戦争は不利に傾きつつあるとき、それぞれ海へ空へと勇躍第一線へ赴きました。十一月宮中で天皇陛下の御拝謁を賜わり、尽忠報国の念を更に強くし、それぞれの配置で若き血潮を燃え立たせ勇戦奮闘しました。また数多くの友が身を惜しむことなく進んで特攻攻撃に参加しました。然しながら我々の願いも空しく、やがて終戦となり、この間、期友の半数以上が国のために身を捧げられたのであります。人生五十年と云われた当時、その半ばにすら届かぬ若き前途ある諸兄の散華は、痛恨の極みであります。ましてや御遺族の御心情察するに余りあるものがあります。

 戦後、わが国民は幾多の困難を見事に克服し、今や世界の経済大国となりました。これも諸兄の貴い生命の礎があって、はじめて達成されたものであります。

一方、豊かさに慣れ経済面が必要以上に重視されがちとなり、かつての我が国の誇るべき精神が失われつつあるのは誠に残念であり、諸兄に対しても申し訳ない限りであります。先の大戦の意義、将来の国家の安泰についても、確たる政治の主導が無く、軍事を除外しても安易に平和は得られるものとの皮相の言動が目立つ時代が続いています。世界の一国

として、国連への経済面の協力は米国に次ぎ第二位でありながら、他の面では誠に恥ずかしいものがあると云えます。東西間の冷戦は終結したとはいえ、地域紛争は世界の各地に頻発しています。最近になり漸く我が国も極東の一国から世界の一国へとの動きも見られるようになりました。日米安保の見直しについても議論され、我が国の緊急事態対処についても、世界を視野においた検討がなされる気運も感ぜられます。この際、確たる政治理念のもと、早急に国家の安泰を確保することこそ我々の願うところであり、諸兄の御遺志にも報ゆるものと信じます。

ご遺族も更に年齢を重ねられ、二十名余の御母堂も直壊の御参拝は難しく、故郷において御遥拝を頂いています。我々も老境に入り、九十一名の期友が病に斃れました。残された我々は微力ではありますが、世界に誇れる日本となるべく諸兄の御遺志を継いで努力を重ねる所存であります。

本年から、お盆に三日間行われる靖国神社「みたま祭り」に大型提燈を献納して、諸兄の永代慰霊を行って頂くことになりました。瞼に浮かぶ諸兄を偲びつつご遺族ともに心から諸兄の御霊安かれとお祈り申しあげます。諸兄も御遺族の御安泰をお守り頂くとともに、この参拝がの集いが何時までも続けられるようお力を下さい。

平成八年六月二日

なにわ会代表 浦本  生