TOPへ 

関西なにわ会 六月例会報告記

幹事 桂 理平

 

 平成七年六月石井 晃君から幹事を引き継いだ時「毎年六月と十一月に例会を開くことにすると発表したのだったが、その後の私の体調不良により公約違反になりそうで困っていた。 ご承知のように昨年十一月には山本、小西両君の協力を得て、京都で例会を開いたが、十二月に定期精密健康検査の結果、早期の胃癌と診断され今年一月に開腹手術をし経過は概ね良好で、現在では自宅で静養している次第である。

 山道に石清水八幡宮が鎮座している男山の麓に住んでいる小西君は、クラスの中で弊宅から一番近いので相談したところ、心よく協力すると言ってくれたので、今回スムーズに

開催することができた。有難いことだと感謝している。

 関西なにわ会会員は次に挙げる四〇名であり、案内状を出し出欠の返事を取り、二三名が集まった。

一、日  時 平成八年六月二十二日17001930

二、場  所 大阪市梅田 大阪弥生会館

三、出席者  23名  氏名掲載略

四、欠席者の名前と近況

土岐 宗男 呼吸器系統の病気

 堆野 広  機五三期北海道クラス会に行く

伊吹 明夫 家内の体調悪く身動き取れない

山本 省吾 身体に持続性がなく、すぐ疲れる

樋口  幹 半年ほど腰痛で苦労している

 河野 俊通 病気で入院中 闘病の大変さが分かった

楢村 明聖 出席の諸兄によろしく

加藤 種男 六月下旬は東欧旅行中、昨年八月足を骨折しリハビリ中

江藤 雄三  歩行まだ不十分

久米川英世 所用のため

杉田 繁春 相変わらず突発する不整脈に悩まされている

高井 実  轡叫肌笥盛挙中山

河口 浩  心筋梗塞で長期入院後、退院したが外出は無理

前田 正弘 阪神大震災で住宅が倒壊して、復旧その他で忙しい

原田 敏郎 体調不良

藤尾 圭司 急用のため

杉田 政一 七月二十六日夜、中京なにわ会で長良川の鵜飼い鑑賞の予定

小田 正三 急用のため

五、会食および懇親会の概略

1、中西健造君が故郷の滋賀県に去年帰ってきた。然しまだ東京なにわ会の幹事を勤めているので、東京方面のクラスの状況を報告してもらった。中心は健康の問題だった。

 その管理は本人の責任であるけれども、お互いに知識や情報を交換して助け合ってゆくことも大切であると痛感している。

 2、山陰松江市から浜田秋朗君が久し振りに出席してくれた。彼はベストセラー「先任将校」(松永市郎著)の名取短艇隊で十三日間の櫂漕と漂流をして比島のスリガオにたどり着いた体験をしている。

 初めには急造の筏に乗っていたが、沈没直後に泳いだ時海面に浮いていた重油が目に入って見えなくなっていたので、短艇に移乗を命ぜられた。その代わりに名乗り出てゴムボートに移った後輩の少尉候補生がいた。

 海が荒れたので短艇隊を見失ったゴムボートは後日敵の艦隊に発見され救助された。食糧も尽き果て、息も絶え絶えであって乗っていた人員は捕虜になった。この人達は戦後に

なって、無事に日本へ返還されたそうである。

 内火艇に乗っていたクラスも同じような運命に見舞われている。

 人間の辿る道は人の能力を越える時がある。戦時において我々はそれを体験しているので天命とか運命を信じるようになった。

 生死については紙一重の差で幽明境を異にしたのであって、戦死者を思う時その冥福を祈る心は益々切なるものとなる。

3 出席の諸君の発言は活発であった。最近感じていること、時事問題や楽しく暮ら方法、医療知識の解説など貴重な話があった。流石になにわ会だと思ったとは褒めすぎかな。皆さんがリラックスしていて、よい雰囲気あったと思う。

 4、次回は十一月二十日前後に京都で集ることになった。京都在住の山本、小西、桂で幹事をさせてもらう積もりなので、宜しく願います。関西以外からも参加してくれることを歓迎します。

 十一月には元気で会おうと声をかけ合って散会した。