祭 文
伴 正二
昭和十五年十一月三日、いま幽明を異にしている祭神諸兄と我々は、等しく海軍からの合格電報を得て躍り上りました。
十二月一日、これまた等しく、海軍生徒の軍装に着替え、
鏡に映る短剣姿の自分に見入りました。
それから五年足らず、それは厳しい訓練の日々であり、身を鴻毛の軽きに比しての戦場での朝夕でしたが、今思えば天晴れ子々孫々に伝えて恥じぬ、咲く花の勾うが如き青春で
ありました。
不幸にして戦いに敗れたことは、生き残った我々の誇りを傷つけ、諸兄の忠烈を顧彰する言葉も世間一般に対しては控え目なものになり勝ちでした。
こうして星霜四十七年、確かに国土は復興し、繁栄はかつての敵国を凌がんばかりの勢いでありますが、翻って別の資質、大いなるもののために死をもいとわぬ高貴な精神は地を払い、いま以て蘇える気配もない寒々とした実情にあります。
ただその間に在って、以て瞑すべきはアリューシャンからマダガスカル、陸海空三年八ヶ月の死闘を境にして、世界の姿がすっかり変ったことであります。
マレーシア独立宣言の行われたマラッカの史跡には、同国人の同国人の自覚高揚に果たした日本占領時代の意義が謡われ、異民族の支配をハネのける気概がこの時期に培われたことを明記してありました。友よ見てくれ、であります。
廟堂の風色幾変更、戦時日本の政策がしばしば大東亜共栄の理想を逸脱したことは惜しみて余りあることでありますが、それら幾多の失政にも拘らず、諸兄や我々の後姿を見て
アジアが奮起した史実の持つ世界史的意義は消えるべくもありません。
桜木の花の蕾で短い生涯を終えられた諸兄の霊前に額づいて今更のように思う事は諸君が生き残った我々に託したものは何であったのかということであります。
西力東漸の波の襲来この方、ここに神鎮ります先人そして諸兄が、身を挺して守ろうとされたのは、大流の水がその岸を洗うこの国土だけではなかった。敷島の大和心とも歌われた
瑞々しい精神文化でもあったのではありますまいか。
我々は、自由と民主主義という敵側の価値観を取り入れることになりましたが、三流と言われる今の政治を見れば一目瞭然であるように、我が国の精神風土にこれらの価値観を適応させるための営みは、まだその緒についておりません。
段々病没する者も出る齢ともなり、日暮れて道遠しの思いは有りますが、我々は祖国の真の再建に道を開くべく、最後の最後まで残れる力をふりしぼり諸兄に恥じぬ生を終えて再会の日を迎えたいと思います。
日本の前途に栄あれ、我々の努力に神助をと心からなる祈願をこめて祭文の奏上を終えます。
平成四年六月七日
なにわ会代表 伴 正一