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祭   文

謹んで海軍兵学校第七十二期、海軍機関学校第五十三期、海軍経理学校第三十三期の戦没者諸兄の英霊に申上げます。

平成元年のなにわ会参拝クラス会に当りご遺族、教官の御参加を頂き、この靖國のご神前に額づき、昭和十五年十二月一日栄ぁる海軍生徒を拝命してより昭和十八年九月十五日勇躍出陣の日迄、寝食苦楽を共にして、共に切磋琢磨した生徒館生活に帰り、心静かに語り合い現況を報告し度いと生存者一同ここに相集いました。

今この靖國の杜に至高至純の尊い身を国に捧げられました兄等と共に手を取り合って語り合い兄等の面影を偲びますと痛恨断の思いに堪えません。

蛍雪の功なり白装束に身を包み、悠久の義に生きようとの決意も新たに勇躍太平戦争に出陣し、海に空に陸に全力を振り絞って勇戦敢闘致しましたが護国の任を全うし得ず、はたまた先がけられた兄等殉国のみ霊の御加護も及ばず、昭和二十年八月十五日の敗戦の日を迎えたのであります。

矛を収めて四十四年、兄等の御両親も既に鬼籍に入られた方々が大半となり、またご高齢にため、ここ靖國の社頭にお出かけの方も少なくなりました。まことに寂しき極みであります。

回天の勇士としてウルシー海域に散華された豊住和寿君は最後の出撃を前に呉水交社の庭園で静かに豊後水道のすばらしい景色をたたえ、この美しい緑と水の祖国を生命にかけて守るのだとの言葉を残されましたが、彼の国を愛し家郷に思いをめぐらした心底からの叫びが今尚耳朶に残って居ります。

兄等が悠久の大義に殉じ共に守り抜いたわが日本は世界第一等の経済大国とはなりましたが、緑と水に包まれた四十四年前の日本ではなくなりました。現在では全世界に亘りフロンによるオゾン層の破壊等々地球規模による環境破壊が進み、人類生存をも脅す萌しが芽生え始めました。美しい日本の美しい地球の線と水を守り人類の生存を守って二十一世紀にバトンクッチすることこそ生き残った我々の務であると覚悟して居ります。

 又昭和十八年十一月我がクラス総員の最後の集りとなったあの宮中参内と拝謁を賜った昭和天皇が全国民のご平癒の祈願も空しくこの一月七日崩御遊ばされ平成と改元されたのでありますが、この日は兄等が後につづくものを信じ命にかえて守り抜かんとした日本人の本質が発揚され戦後民主主義とか象徴天皇制とかの宣伝に終始して日本人の自由を束ばくしていたマスコミの幕がズタズタに破れた時でもありました。

御不例がつづくあいだに他人の眼も自粛論議もものともせず全国各地の記帳所に出かけた人々の数は昨年暮迄に八百万人を越ぇたと報じられ、天皇崩御の翌日一月八日の日曜日には全く自由に奉悼の意を表すべく人波は続々と皇居前に集まりつづけ崩御後の十日間に皇居前だけで二百三十三万人を数えたと言われました。

昭和六十年の大行天皇の歌会始のお歌でも

 遠つおやの しろしめしたる 大和路の

  歴史をしのび 今日も旅ゆく

とお詠み遊ばしましたが、皇統は連綿として悠久の古代にも通じ、生きている日本人だけの天皇ではないことを国民の前に示されたものであり、兄等の志が連綿として悠久に受けつがれて行くことが今回はっきりと認識されました。

今残されたわれわれ生存者は六十代の半ばを越しましたが、諸兄の遺志を継ぎ、志を後世に顕彰して、併せて国家の平和と繁栄と人類の生存ために微力を尽くし諸兄の尊い犠牲に報ゆる所存であります。

願くば在天の英霊、末長く衡加護を賜わりますように。

 平成元年六月四日

     なにわ会代表 福嶋 弘