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昭和63年 6月 5日実施

第二十二回参拝クラス会の記

奥山 寿一

社殿前の桜の緑の葉もまばゆい65日恒例のなにわ会慰霊祭が、教官3名、ご遺族108名、生存者126名(夫人同伴1名)、計237名参集してとり行われた。

定刻1000に昇殿、厳かに神事が進められる中、幹事毎熊 祐俊が別記祭文(掲載略)を捧げ、6人の代表の玉串奉奠が行われた後、おのおのに往時を偲び級友の冥福を祈った。

1100から、場所を九段会館に移し、懇親会に入る。村上幹事の司会で進められ、来賓の柳田教官のご挨拶を頂き、乾杯、懇談に移った。懇親の話がはずみ、盃も進むうち、賀川近子様(慶近君母堂)、続いて伴すず様(弘次君母堂)のお年を感じさせない美声での詩歌が披露され、また、続いて、井尻武弘君(文彦君の弟)、伴辰三君(弘次君弟)の素晴らしい歌唱のご披露があった。

宝納幹事からは、渡辺邦子様(元木恒夫君姉)の短歌、切々、弟恒夫君を思う心を31文字に歌った。

 沖縄を指して往ける五機の星

         わが眼うらに今も灯れり

が披露され、参加者みな、弟を思うその心に感動した一ときだった。

ご遺族を代表して泉本厳様(修君兄)の心からの挨拶があり、高崎君の指揮で軍歌合唱、最後に岩波正幸様(欣昭君兄)の音頭で万歳三唱して、来年64日(日)の再会を期して散会となった。

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昭和61年 6月 8日実施

第二十一回参拝クラス会の記

高杉 敏夫

梅雨入りが遅れたのが幸いし、樹の間から薄日が漏れる6811時、教官4名、ご遺族112名、生存者127名、計243名参集して恒例のなにわ会慰霊祭が行われた。

幹事門松安彦がなにわ会を代表して別記祭文(掲載略)を捧げ、6人の代表が玉串を奉奠し式を終えた。

その間、私たち生き残った者たちの脳裏に去来するものは、やはり何時までも若々しい友の姿であった。

1230、場所を日本学生会館に移し、懇親会に入る。広田幹事の司会で進められ、来賓の安元、石隈両教官のご挨拶を頂き、次いで柳田教官の乾杯で懇親に移った。話がはずみ、時が経つのを忘れる裡に、何時までもお若い賀川近子様(慶近君母堂)の詩歌が披露される。それに負けじと万年青年の安元教官の詩吟の飛び入りがあり、井尻武弘君(文彦君の弟)が亡き兄への恰もレクエイムのように、島崎藤村の「朝」を歌われた。

ご遺族を代表して岩波正幸様(欣昭君兄)の心からの感謝の挨拶があって、高崎軍歌係の指揮で生存者一同、「同期の桜」と「軍艦行進曲」を斉唱する。

ご遺族鈴木藤蔵様(忠雄君の父君)の年齢を忘れさせる元気な万歳三唱で余韻を残し来年67日(日)の再会を期して会を閉じたのが定刻1400だった。おりしも、南方のスコールを思わせる俄雨が通り過ぎたが)、却って樹々の緑を洗い、清々しい一時であった。

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